いのちばっかりさ

生きている記録。生業。放送大学。本を読む。入道雲100年分。

毎日の労働

毎日の労働がとにかく辛くて、毎日川の美しさとか山の雅さとかを見ないでオフィスにこもりきりと言うことが受け入れられない。自分の仕事について、自分の仕事の未来についてだれかと話すこともない。

 

20歳を超えたらみんなこれ以上身体が発展していくことはほぼない。いままで成長してきた体を使って死ぬまで生きていく。死ぬということをいつも子供のときから考えていて、生きるということより死ぬことが気になっている。死に魅入られているみたいな感じ。廃墟の動画を毎日のようにYou Tubeにアップしているような人がいて、その人が廃墟に魅入られているのと同じだと思う。

 

それは特異なことかもしれないが、自分としてはごく自然に生きてきてこうなったのだから、それでどうしようもないと思われてもどうしようもない。

 

最近都心で仕事をしていて、自分の手元には何も残らないのを感じる。自分の経理の仕事は、会社が大きいから必要なもので、もし会社が小さければ必要ない。でも会社が大きいからと言って、みんなが会社の規模を大きくすればその分サービスの質を上げられると言っているようには進んでいなくて、大きいからこそむしろ世の中に余計な迷惑を生み出していると思うことが多くなっている。この会社で働いていると、自分は引退した後、仕事で人を笑顔にした思い出が一つもないまま過ごすことになる。

 

大きい会社のバリューとは何なのだろうか!

 

私は小さい会社に戻りたいなと思っている。

給料がほしいけど、給料のためには働けない。給料をいくら稼いでもどうせいつか死ぬとともに、家さえあれば月に15万円も稼げば貯金もでき、健康な食事もできるということをわかっている。今家はないのだが、家を買うことはたぶんもう数年すれば可能だ。かなり古いかなり不便なものであれば。家がない場合でも月に22万円程度稼げば暮らすことは可能だ。

偶然にも1年前の自分の写真を見て思うことは、明らかに老けたということである。これは今の生活が体に悪いからだと思う。オフィスに座りきりで仕事をしているので、かなり体に負荷がかかっていると思う。私は発達障害を持っているので、あまり体を弱らせると、この症状が顕著に出てきてしまって、仕事もうまくできなくなってくる。現に今ちょっとそういう状態であると思う。

 

会社の状態もかなり変わってきていて、入社時にこの人いいなと思った上司や同僚はどんどんやめてしまった。会社の雰囲気が明らかに変わっている。そして偉い人は何を考えているのかわからないし、驚くほど偉い職位の人がやめていく。偉い人のくせにさっと来てさっとやめていくのは本当におどろく。そんなものなのだろうか。

 

この会社を退職したら自分には何も残らないと思うので、転職をしたいと思う。

 

ここ1か月くらい、本当に、ほかに私に言うことがないからこんなくだらないことを言われるのだろうというようなことを私に対して上司が言ってくる。割と若い人なのに、人の苦手なことを一生懸命に直させようとし、それは実際のところは発達障害による苦手なので、直すことができないのだが、良いところを伸ばそうとはしないでひたすらここが苦手だここが苦手だと言ってくる。

 

こちとら苦手ということが分かっている。短期記憶が弱いのは発達障害由来だ。本当に疲れたなあ。けどこれは上司が悪いのではない。上司というのはこの程度のものなのだ。私はわかっている。自分で得意なことが伸ばせる場所に行かなければいけないのだ。一番問題なのは、私が今の会社の方針には一切賛同しないし、仕事内容も全く興味がない(消え去るなら消え去ったほうがこの世の中がましになるだろうと思えるような仕事だ)と思っていることだ。そういうことに人生を費やすのはおかしい。

 

私はやはり食品が好きだなーと最近切に思う。

食品は最高だ。おいしいものであれば人を幸せにできる。

 

今の仕事では、ほかの小さな会社が参入すればもっとおいしいものを提供できるところを、かえって迷惑を生み出して参入しているというようなことをやっていると思う。また自分でもどうなのかと思うような仕組みも多い。なんとなく誠実じゃないと思うのだ。まっすぐにつながる商売のほうがいいじゃないか。くわしくはかけないが。

 

今の会社では小さな同業他社を買収してさらにシェアを広げるという方針だが、基本的に不可能だと思う。地方で働いたことがあれば、おのずからわかってくることかと思うが、私たちのような業種では、地元のつながりある業者に委託する場合が多い。それに料金だって安い。とても安い。親戚同士で委託しているようなのもある。そういうところを買収して、挿げ替えたところで、それらの会社よりもおいしいものを提供できるのか、安いものを提供できるのか。後者に至っては全然無理だと思う。抱えている社員の数も違うし、ひとりひとりの人件費も違う。かといって人件費を下げるとしたら、大きい会社ならではの煩雑でストレスフルで裁量のない仕事からは、いかに弱小労働者といえども逃げる資格を持っている。

 

というかもし同じ人件費で、今までよりもハードなつまらない仕事をさせるなら、そんなことおかしいのだ。そんな会社くそくらえだ。

 

 

どうせ死んでいくなら、自分が正しいと思っている仕事、人を笑顔にできる仕事をして死んでいきたい。今この時も明らかに自分は死んでいっているし、死に向かって歩んでいる。一刻の猶予もない。

 

確かに転職を繰り返すことはよくない。

一つの仕事をやっていったほうがいい。わたしもそうしていたい。けれどこういう転職が原因で、最後肉体労働をしたり、仕事がなくなって生活保護などで生活するとしても、オフィスで意に沿わない仕事をして気持ちを病むよりいくらかましではないか?

 

年を取っていくのはあまりにも早い。最後は死ぬのだ。

大事なことが分かった。転職を考えるには長い休みが必要。あと今度はちゃんと観察して、本当に行きたいと思う会社に応募すること。