いのちばっかりさ

生きている記録。生業。放送大学。本を読む。入道雲100年分。

今の気持ち

ぬいぐるみを捨てようとしては拾って、捨てようとしては拾っているが、捨てねばならないなと思う。そもそもぬいぐるみを心地よいものと思っているのか謎。最近は見ると埃っぽくなりそうなものだなと思っている。なんかぬいぐるみを捨てるのは残酷な気がする。ゴミ袋に入れたらこれが良いのだと思うくらいすっきりする。

 

小説とか読んでいて思うのだが、私の生活はSFの硬い描写のように平面的に感じられている。何か困ったことは突然に起こるし、それはいきなり目の前に立てられた新しい絵のようにいきなり認識される。

 

例えば猫を飼おうとするとき、海外転勤になったらどうするとか、病気になるとか、いろんな可能性は考えるが、実際に病気なったりすると、いきなり新しい絵になったときみたいにうろたえる。

 

家賃は高いこのくらいだと思っていても、いざ払うとなると高いと思ってうろたえる。退職はこんなものだと思っていても、いざやめるとなると小さなこと、例えば退職挨拶するのはいつか、とか悩むし、その方法がよくなかったとかで悩む。言われたことにいちいち悩むし、解決方を考える。100年経てば大したことではないのだが。

 

人間は長生きだから、旦那と住むといろんなことがあると思うし、多分毎回何か起きるたびにうろたえるし、毎回何かブログに書くだろうし、そういう記録が私の没後も残って欲しい。