いのちばっかりさ

生きている記録。生業。放送大学。本を読む。入道雲100年分。

矮小かつシャワー

 取引先の新入社員を見ながら拙者は思った。皆矮小な社会の中で苦しみ、人との関係に悩み、眼球に不信感を貼り付けたり、人との違いを自分で決めたことかのように、アイデンテティと称しているのだと。

 

 帰宅してから憂鬱が続いた。一時間半悶絶したのちにシャワーに入ったら雲散霧消した。そうかシャワーが必要だったのだと。幸いコピーアンドペーストの比ではなかったが、今日はエクストリーム伝票書き写しの日であった。私は一体何をしているのか。どこへ向かっていくのか。それは一応自分で決めることになっているのが現代社会である。

 

 とりあえず健康的でバラエティー豊かな食事をとり、よく眠る。よく運動する。これが大切である。俺は事務職ではないのですが・・・とどうしても言いたくなってしまう。それに40代のおじさんには耐えられても二十代の私には耐えられない作業があって当然では。

 

 ともかくいつも私は課題を持って世の中に取り組んできたが、突き抜けていなかった。自ら行わなかったから。結局自分が課題だと思っていたことでさえ、自分の時間を費やしてその一部に取り組むほどの課題とは思っていなかったのだ。そして自分の気力が途中で尽きるのを見るのが怖かったから。

 

 体を鍛えよう。

 

    同じ場所で半年以上過ごすとダメだ。