いのちばっかりさ

生きている記録。生業。通信制大学。天平の甍、生の短さについて、狼煙

昼休み

社内規定を読んでいたらいつの間にか社内規定が変わっていて、しかもどこが変わったのかわからない。けど改定日だけは書いてあって、こういうのっておかしいよねと思う。

しかも社内規定の文明のフォーマットが崩れていて気持ち悪い。こういうところに人手不足が反映されている気がするけれど、退職した人たちはどこへ行ったのだろう?

どうも建築とかゼネコンの方へ転職している人が多いようだけど、国内で建設の需要はこれから減っていくだろうことを考えると最終的には海外勤務みたいなことになっていくんだろうけれど、みんながあくせく働いているだけでは英語能力も向上していないだろうしなんとも言えない気持ち。

 

このままあくせく働いているだけでは将来的に技能が身についていくこともありえないので、今の会社で出世できなくてもぜひ学校に行くべきだと思う。

 

とはいえ実際には今の50代の人のほうがずっとあくせく働いている。バブルの中で親がしてきたようにローンで家を買い、車を持って、仕事頑張って部長とかになっている。65歳まで働くと言っている。

 

私には全く理解できないけれどその振り切れている具合が羨ましい。でももしあの人たちが後ろ向きに考えるとすれば、リーマンショックで親のように稼げなかったしローン組んでも給料上がらなかったし、今は若い人たちは雑務積極的にしてくれないし、自分はいつまでもこんな仕事までやらなければならない。みたいに考えるだろう。でも後ろ向きになんかなってる場合じゃないんだろう。あれはあれで戦争だと思う…。

 

ロシアのウクライナ侵攻のニュースに接して、子供の頃の国がいつなくなるやらわからないという気持ちが蘇ってきた。しかしいつもこのように国がなくなるやもしれないみたいなことを考えているのは、実は国がなくなって最初から始まればまた若者が新しい仕事をできるのにという気持ちからかもしれない。

 

もし自分に子供ができたら、どんな土地に放り出されてもなにかして生きていけるように一人だけをきちんとそばで見て育てていきたいし、育って大人になったからまあいいやと言うような結果論で自分を慰めたくはない。子供がそれを望まないパターンももちろんあると思うけど。