- 3年ぶりくらいに友人(女性)に会ったら結婚して離婚していた。ホットケーキを焼いてくれる彼氏と結婚したはずだったのに、妻に黙って元カノと出かける旦那と離婚していた。
- 私頑張って稼いで養ってたのに、みたいなことを始終言っていて、私は養うためには全く頑張っていないなと少し安心した。私が主夫の夫がいないと普通の常識的なファッションをして毎日仕事に通うことも不可能であり、精神も病むので旦那に付き合ってもらっている。
- 部屋が一つしかないから勉強がはかどらないみたいなことを言ったけど、そもそも安定した収入を得て勉強を多かれ少なかれ継続できることがそもそも旦那のおかげなので文句を言わないで勉強してちゃんと成果を出さなければいけない。私の性格的に安定した収入がないと勉強に集中できないどころか椅子に座って続けることも困難だろう。
- というか旦那のほうが慣れない土地に来て、周囲からあまり評価されない家事労働に従事してめちゃくちゃ頑張っていると言える。
- お互い誠実な事がとてもいいことだと思う。ここに一寸の陰りも与えてはいけないという決意がある。
- かなり通勤がきつそうな地域に、払うのが大変そうな家賃の家を借りて住んでいたらしく、そういうやりすぎの感じは被害者意識を持つことにつながるのかなと思うふしもある。
- 自分だけが頑張っているという状況になるのはだめで、お互い頑張って、もしくはお互い頑張らないで生活をしていく。基本的に日々は頑張らないで、なにか超えるべきものがあるときに一致団結して集中的に頑張るのがいいと思う。
- 決算手続の問題は面白いけど精算表を作る問題は必ずどこかで間違えてしまう。
- 決算整理前残高試算表を作るのは楽でよい。(突然簿記の話になった)
- 友達が自分は家庭のために頑張っていたのに、ひどいということを言っていて、色々あると思うけど家庭とか決まりきったお仕着せの言葉ではなく結局自分のために働いて稼いできたんじゃないかと言うことを言った。
- 花束みたいな恋をした、とか言う映画のテーマみたいなことを言っている。私見ていないけれど。あの映画についてはみんなが教訓映画みたいに捉えていて、その現象が面白いから感想をよく読んでいる。
- 通行人が振り返るくらい友人は負のオーラを持っていて、笑顔が全然変わっていた。最後に会ったとき夏の私の大好きな下高井戸の焼き鳥屋で、焼き鳥食べながらニコニコしていた彼女ではなかった。今この部分を書いて少し泣いてしまう。うるうるしてしまう。
- 強く賢くならなければこうなってしまう、と残酷だけど思ってしまった。人生に対して肯定的に生きるか被害者的に生きるかで、人生は変わってしまう。クソみたいな人生を生きてもいいけれど被害者的に生きてはいけないと思う。他人から見てクソみたいか落ちぶれているかということはどうでも良くて、自分の人生に対して肯定的に捉え、頑張っていなくても肯定し、時には他人を悪者にしても、淡々と次へ進んでいく。図太さとテキトーさと、その時便利な格言などを持って生きていけば。
- あれくらい病んでしまうことはかつての私にもあったのかもしれないけど、今たまたまサラリーマンをしていて、大きく持ち崩さないように自分にストッパーをかけているから、大きく崩れた友人を見て驚いてしまったのかもしれない。
- 偉そうに行っているけど学生時代は疲れ切って電車の中で座り込んでしまうみたいなことは普通にあったし、朝も起きれなかったし、あれくらいには病んでいたのかもしれない。けど3年前の彼女は楽しそうに笑っていて、今日の彼女はつらそうに笑っていて、顔も変わってしまっていた。
- 私のような関係の人間からは回復することができない種類の幸せを彼女は奪われてしまったのだと思った。
- 別れるときありがとねって言ってくれた。彼女がもっと他のものにもありがとねって思える日が来ますように。
- 私は偉そうなことを言っている場合ではない。
- 私はどうなんだ変わったのかと思ったときに、一方的にただただ幸福になっているとわかった。
- すごく良い銭湯に行った。設備とかではないけど。
- 生きることは闘争で、たまには逃走も必要だしむしろ逃走が大切。最近そういう感じがする。
- 金を手に入れろ。話はそれからだ、みたいなところがあって、金を手に入れればどんどん金を増やせるらしいけど、お金を突っ込んだ株とかの金額が上がるのは実際に消費活動をしている人のおかげで、もし全人類が自分で食べ物を栽培する私服も自分で織るみたいになったら、株は本当にビットコインみたいになって、一体何で上がるのかわからないみたいな虚構の遊びみたいになって恐ろしさがすごい。だから株とかやる人は少しでいいのではと思うし、消費活動をしているだけで金持ちになれない人たちのおかげで資本主義社会は健全性を担保してますていうのがあると思う。
- だからお金もうからない貯まらないのは当然で、そういうふうな世界に生きてるので、それでいい。
- 損益計算書をつくるとき、当期商品仕入高には売上原価の算定の仕入繰越商品、繰越商品仕入の仕訳のぶんは含まれない。なぜならその下にそれぞれの項目を書くところがあるからだ。
- 簡単に不幸になってんじゃないよ。人生に挑みかかるか死ぬかどちらかにしろって思うけど、それは私がサラリーマンを続けていくために無理して身につけた思想で、別になくてもいいものなんだと思った。頼むから毎日銭湯6時から開いていてほしい。苦痛がすごいとき熱い湯に入って朝をスタートしたい。
https://giveus.hateblo.jp/entry/2018/03/12/222006