いのちばっかりさ

生きている記録。生業。放送大学。本を読む。入道雲100年分。

バブルと私

私が勝手にバブル的価値観と呼んでいるものがあって、それは全体的に母であり、父もその価値観に基づいていた。というより私が思うには母がバブル的価値観を持っていたゆえに、父もその方向で自分をアッピールしなければいけなかったのであって、私の母は四方八方に圧力を生み出してしまう人間であって、そしてそのだれかれ構わずマウンティングをし、「私はあなたよりーーーな点で優れている」ということや、「私はあなたと違いフランス語が喋れる」ということや、「私はあなたより早く起きた」というような点に至るまで、完全にどや顔な人間なのだ。

私は自分が住む場所や職業を母には話したくないし、内定の中でどれを選ぶかという際にも母に話したら母が選ぶのとは違う選択肢を選ぶように自分に強いてしまう。そのけっか人生が紆余曲折の襞に巻き込まれてしまうにしても、それ以外の選択は自分にはできなかったと、後で思い返してもよくわかるのだ。それくらい、私は自分の母を危険視しているし、彼女は私の人生を狂わせる一大要因である。

 

ちなみに母の内外構わず四方八方に圧力を生み出してしまう性質は祖父から受け継いだものであり、祖父も電話するたびに何時に起きてきたか私に聞き、「私は5時に起きて、もう散歩もしてきて、習慣になっているあれこれそれのシンプルな朝食をいつも通りとり終えた。あなたはそんなに遅くまで寝るのか。」などと言ってくる。ここは軍隊か。

 

そういうわけで祖父と母が会うと互いに高みを目指す発言を交わしすぎてもはや頂上が見えない状態になり、果てはフランス語の語彙に関する話などはじめて私にはまるで意味の分からない話ばかり。

 

母が私に勧めてくる転職先といえば、大きい、上場、みたいなかんじで、私はステータスのために転職するんじゃない。以下省略。

 

非常に毒素の強い人間なので旦那に合わせたくはない。