髪を切りに行った。千円カットも2回行ったけど、やはりちょっと千円カットでは仕事上問題がある。何より何歳まで生きるかは誰にもわからないのだし、限りある時を気に入った髪型で過ごしたほうがいいではないか。とは言え私には気に入った髪型などはないし、できれば丸刈りにしたりとか、そう言う「私は世間的ではないことをやってのけた」と思えるような髪型の方がいい。まあそれは無理なので、なぜ無理かと言うと商談をするので、そこの時にあまり頭おかしい髪型をしていても面倒なことになるので、せめて自分の家から徒歩圏内でかつ2500円程度でヘアカットできるところを探そうとは思っていた。
いつもはホッットペッパーを使って美容室を探す。
今回もこれで探していて、12月にオープンしたばかりの美容室で2400円カットをやっているのを見つけたので、予約してみた。田舎の美容室は何かとカットスタイルのモデルが芋い。でもそれは別にいい。東京は特異な場所だった。それで今日ヘアカットに行ってきた。
私は初対面の女性に格式張った印象を与えてしまうのですがそれは美容室でも同じで、だいたい女性に切ってもらうことが多いのに、こう言うところでは話し方が不自然らしくなんか変な雰囲気になる。あとトリートメント使っていますかとか、ドライヤーしていますかとか、コテを使っていますかとか聞かれて、めっちゃ自然に嘘をつく。トリートメントは所持していないしドライヤーも所持していないし、コテも所持していないし、けど前はしていましたとか、たまに、とかドライヤーはしますとか嘘をつく。自分でも後から思い出してこれほど嘘をつくシチュエーションもあるまいと思うが、あんまりに何もしていないと答えるとその時点から対応が微妙になり仕上がりもイマイチであることが多いので、これは生殺与奪の美容室では仕方ないことなのだ。
そう美容室のようなおしゃれスポットは私には自由のきかない勝手のわからない結構大変な場所なのだ。美容室に行くとコートを預かりますとか言われるのだが、私は自分のコートを人に預けるのが嫌いだ。でも今日のところはロッカーでセルフでしまってくださいという形式だったので楽だった。自分の保温マグ(いつも持ち歩いてお茶を飲んで落ち着く)やデジカメ(出かけた時写真を撮ろうと思って昨日から持ち歩いている)を好きなポジションに収納できた。このことが私の心を安らかにさせた。東京にいると日々の忙しさや喧騒にまみれて、自分のわがままやおかしいところについて真面目に考えなかった。だがこのように地方に来てみると私がこだわっていることや偏執していることがまじまじと見えて来る。そして道とかを徒歩しておっても誰もいないので思考が途切れることもなく、新品の靴が誰かに蹴られて傷つくこともない。思索にはむいていると思うが思索の材料の入りどころがとても偏って限られている。自発的にならないと食って寝て出せば終わる毎日。
そして人に会う機会が全然ない。知り合いが増える要素がない。でもブログも書いているし孤独ではない。
美容室を予約するには下記のサイトもオススメらしい。美容室の隠語的なやつで、「A1(エーワン)」というと「ご飯」の意味らしい。美容室のようなおしゃれスポットでは「ご飯」のような現実的な言葉は言ってはいけないのだろうか・・・でも最近はそういう言葉はあまり使わないらしい。
美容室では若い人をよく採用するが、やめそうだと思った人が辞めなかったり、1日でばっくれ退社する人もいたり、やはり何かと先が読めないものらしい。全国で美容室の数は増え続けているとカットしてくれた人が言っていた。
美容室を予約するには下記のサイトも便利らしい。
気に入ったヘアスタイルを見つけるにはいつも使うセンスのあっているサイトを一個見つけておいて、そのサイトにある画像からインスタグラムに飛んだりして見つけるといいと思う。
私の場合は、「キナリノ」で気に入った写真を見つける→美容師さんなどのインスタグラムに飛ぶ→自分の顔立ちに近い人のヘアスタイルを見つけて美容室に持っていきお願いする。
別にこのサイトに載っているような暮らしを目指していないけれどヘアスタイルを見るときには参考にしている。三ヶ月に一回くらい。
話は変わって、
お金を払っているだけの休日というのも寝覚めが悪いので本を売った。正確には正月に実家に帰った時に売った本の査定が届いた。引越しの時に何らかの問題で売り残したものだ。今回はネットオフに売った。
本だけでなくて、服やらも売ろうかなと思うが私の服はユニクロとノーブランドが多いので売れないかもしれない。
同期がもう一人で営業回りするらしいのだが私は一向に何もしていない。正直最近はもう何もしないでいいのならそれでいいのではないかと思い始めたがそういうのはダメだろうと思いつつ。
今日は美容室の帰りに近所の食事できるところをみてのぞいたが、ランチが一回千円越えとかでそれはちょっとかなりきついよと思った。なんかネギの病気でも流行っているのか、最近店に並んでいるネギの元気がない。ネギと鶏肉の煮たやつ作りたいのだが書いにくい感じ。ネギって結構病気にかかりやすいのかな。
今日はこの本を読んだ。
大して面白くもないけどさっさと読んでいけるからたまにこういうのも読んでしまう。ちょっと時間もったいないかなと読み終わった時考えるけど、娯楽に時間もったいないかなとか考えてしまうのもなんかもったいないかなと思っている。てか娯楽ってほんと無駄だよな部屋掃除しているだけでそれなりに楽しいのにとか思ってしまうけど、じゃあなんで自分は本を読んでるのって考えなくてはならない。
なんか自分はもっと上手くかけるようになりたいのかなと思う。
今書いている方法ではなく、もっと世界に絡んで行く感じの文章を書きたいけれども、でも世界に絡んでいる今目立っている人たちのような文章を書きたいわけではない。そもそも目立ったら色々問題が起きそうだしダメだ。でも今の自分の不満を垂れ流しているような書き方も少し違うと思うし、なんか新しい書き方を模索している感じ!
こんな風に午前中はやるべきことをやって、午後も少し残りをやって、くらしているのは普通のリズムだなと思う。なんで週五日も働かなくてはいけないのだろうか。そしてなぜ経営者は週五日しか働かない人々に対して給料を定額支払い、有給まで与えて結婚したなら祝い金を支給せねばならないのだろうか。お互いにとってメリットが少ない気がする。
布団を久しぶりにあげたら布団の下が濡れていて最悪と思った。フローリングと体温で結露的な感じになっていたようだ。すのこの二つ折りにできるやつを下に敷きたい。でも10000円くらいするから高い。あれがあれば布団をあげるのも楽になって掃除機やクイックルワイパーが楽チンになる。
新聞の宅配のおじさんが来て継続のお願いと言われたのだがちょっと貯金の妨げになっていることもあり検討しますと返答。パンをくれた。茶を飲んで今から食べるつもり。
昔は10000円ずつ毎年昇給していた時があるらしい。でも物価も上がっていたし意味がない。白菜の葉っぱの先の方だけ切って鍋の中で蒸しているとその緑の美しさに見入る。
私は将来は高尾とか、山梨と東京の真ん中くらいのところのボロいアパートを買ってDIYして、一個の部屋に自分が住んで、隣の部屋にはairbnbしてマッチポンプ的暮らしをして、自分は楽なサラリーマンをして旦那にairbnb任せて暮らして行ったらいいのではとか思っているけどそのことは旦那に話したことがないし、なんか今日初めて思ったからよくないかもしれない。
家の近くにおしゃれ気取っているコーヒー屋さんがあるのだがなんかずっと店に座って本読んでいる店主がいいなあと思った。だいたい直感でいいなと思ったことがいいんじゃないかと最近は思っている。旦那のことも直感でいいなと思ってたんだなと最近なんかわかって来た。でなければ付き合っていない。なんか理屈を言わなきゃ言わなきゃと考えて選び取ったもの、だいたいおかしいことになっている。でも時には直感と社会で生きて行くために編み出した理屈の区別がつかなくなってしまうことがあって、それは問題だと思っている。その境目を明確に判断することができるようになったら一冊本書けると思う。