いのちばっかりさ

生きている記録。生業。放送大学。本を読む。入道雲100年分。

「慣れが一番怖い」「原因は慣れが生じていたから」という考え方についての違和感

何かが起きた時に、その原因について、「慣れが一番怖い」「原因は慣れが生じていたから」というのはおかしいと思う。

 

人間同じことやってれば必ず慣れがうまれるんだし、「慣れが生まれたことが原因」というなら「人間に任せてることが原因」と言ってるのと同じじゃん。それならなんでヒューマンエラーが生じることを承知で省人化せずに人を使うことを選んだの?「慣れが生じた」というミラクルワードにすべて押し込んでるやん。くだらないのではないでしょうか?というかそれじゃ、「人間に任せてるからこうなった」と言ってるのと同じだから、お金がなくて機械化できない僕らは企業やめますかね?そういう結論にならないように、「慣れ」とかいう気合論みたいなことじゃない原因追求をするべきなんじゃないでしょうか?不甲斐なく感じた。

 

 対策として「安全教育する」ってのも同じだよ。もう「安全教育」したじゃん......この災難はそれを超えてきたんだよ。再び起きないように物理的な仕組みを作らないと。たのむからもう事故やめてくれ。事故ったとしても腕擦りむいたとかそのくらいにしてくれ。指とか骨とかやめてくれ。急かすんじゃないよ。マイペースで使って作らない量を作らないと会社潰れちゃうと言われても作らないでくれ。そんな会社つぶれちゃえばいい。

 

 それとは別の話として、最近下っ端としていろんな前近代的な作業を命じられるのですが、もはや前近代的な注意事項に注意を払うように脳みそができてないからどうしようもない。前近代的とか以前に理屈がわからん。つかれぽんちっち。なれたらいいのかもだけど、こんな作業に慣れたくないな。何にでも承認印が必要で、こんなんおかしいやんと思う。承認印とかいうけど鍵のかからないデスクにぽーいって放り込んであって、勝手に部下が使ってるし。恐れながらなんの意味があるのでしょうか?

 

 承認印押すとかっこいいんだろうか。どんまい.......権限委譲者がいない時、それ以外の人が押してOKというのは.......権限委譲の意味よ.......

 

 周囲を見てたら、なんか家庭というものがわからない。ただ旦那といたいだけ。家があって子供がいて3種の神器があって、木があって猫がいて、食器があって畳もあって、そんな重たい生活嫌だな。

 

とにかく紙ベースで管理するのやめて・・・責任の所在を決めるための書類を誰でも編集できるようにしておくのやめて。