いのちばっかりさ

生きている記録。体を鍛えて学び働きたい。

誕生日と証明

 Facebookを見るのがつらくなった。

 みなが人生について何らかの仮説を立て、その仮説を立証するために行きているかのように見える。

 

 自分の仮説に反する事象は捨ててしまい、立証に有利な事象だけを拾い集め、まるでそこにはそのように有利な事象しか存在しなかったかのように振る舞っているように見える。

 

 私は不安定な人が好きだ。不安定な人たちは、自分にとって有利でない、自分に矛盾を引き起こす事象が存在することをむき出しに表現している。苦しみ、確かなものを見いだせず、仮説を立てることが出来ないでいる。それが普通の姿だろうと思う。

 

 誰もが自分の仮説を証明する途中で、または証明しきって死ぬのなら、残された証明に何の意味があるだろう。その閉じられた目で探し求めるものは、なんなのだろう。

 

 

柳宗元の江雪 

関西吟詩文化協会 漢詩紹介<中国の漢詩>