いのちばっかりさ

生きている記録。生業。通信制大学。天平の甍、生の短さについて、狼煙

どうしようか

睡眠失敗している。
旦那と帰りがてら浦霞というお酒を調達。
家で飲んだ。やはり二人で飲めば美味しい。店で飲んだことがある気がして、その時はあんまり美味しいと思えなかった。でもこれは美味しいね。


東京にきてから、人脈人脈とか言っている人が多い気がする。疲れちゃった。東京では人が多くて、一人では自分が満足できる環境を作ることができないから、他力に頼ろうとするようだ。でもそれは私には向いていない。

自分の気に触るものについて書くこともできれば眺めることもできる。けど自分の気に触る人生をわざと選ぶことはできないのではないか。わからないけど。

元気

睡眠に失敗している。除夜の鐘聞いている。今年はどうも旅行に行くのもできなかった。来年もよろしくお願い申し上げます。

 

追伸

考えることがたくさんあり、時間を要する。

にもかかわらず、今読んでいる本が考えることに必要な気がして、時間を読書に費やしている。それはそれで一定の思考の型を与えてくれる気がする。

 

ある人が仕事というのは部活のようにやればいいんだとわかったと書いていたのだが、私は部活らしい部活をしたことがないので、それがどんなことなのか、よくわからなかった。どうも私が苦手としていることは、私の何となく想像する部活みたいなこと(反復練習、朝早く通う、夕方までとどまる、上下関係など?)と重なっているので、私は部活をちゃんとやっていれば今苦手なこともできるようになっていたのではないかと感じた。

 

近所に朝5時から座禅を組む場所があるらしくて、それにかよったら私は部活の気持ちを身に着けられるのではないかと思っている。そういう経験はするべきなのじゃないかなと思っている。思うに私の精神と感覚はわがまますぎる状態なので、肉体を飼いならせていない。だから、部活みたいなことをするべきだ。とはいえどもいざそれを思うと、なんか宗教染みていて怖いし、家で何かすればいいんだと思う。

 

食事はいいものを食べたいと思っていて、それは私がまだ成長したり学んだりする必要があるので、体をよく保つべきだから。あとお金は支出を抑えるべきであって、大体月の支出は14万円に抑えるべきであって、なぜならそれは、給料が下がっても無敵の人でいるためで、そんなことに心を乱されないようにするため。

誰が何をしても関係ないね


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誰が何をしても関係なくて、自分のやるべきことは変化してなくて、普通に過ごして普通に自分のために生きて、人の為にもなりたい。差別心を持ったり、人を応援できなかったり、人を否定したりするのはよくない。私は人のためになる仕事をしたい。その仕事が人を豊かにするような仕事をしたい。もっと人がちゃんと自由に稼げるようにしたい。

 

記憶することを忘れるな。今日より明日はすごくなる。

自分の土地と建物を手に入れて、人に満足を与える商売をしたい。来年はもっと強くなるためにやることをしっかり決めて取り組もうと思っていて、その計画を慎重に練っているところ。
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葬式準備完了。

 

起きてから17時間後に寝るようにタイマー設定する

という技をツイッターで披露しているひとがいてなるほどと思った。

 

休みになって冷静にかんがえたら、

職場にあまりにもくそな人が多いので平常心を失っていたが、そんなことがなんだろう。

毎日勉強と実践を繰り返す以外に何があるだろう。

都会に圧倒されて気持ちが乱されていたのだ。そして休息は大切だ。

 


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みらい

一般にいう冬季鬱だ。

まあどうでもいいが。

サラリーマンしていると自分の人生が他人の手に委ねられているからいやだ。

帰る時間さえ自分で管理できないのは。田舎にいるときはそういう働き方もありだと思っていたが、実際殺伐としたなかで働いたら一刻も早く帰りたいよ。いえでできる仕事をしたいって本当に思うよね。

 

朝から外出して、かえったら家で本など読んだ。夜出掛けてコンビニで住民票移転の必要書類などプリントした。あんまん買ってもらった。


運転免許書の住所が旧住所のままなのだが、それが財布に入っていたら倒れたときなどに混乱をきたすと思うので物事は混乱のないようにしなければ。

 

悩んでいる。


そうしきうつ

スマートフォンを変更した。

葬式鬱になっている。

家族に会うのもお人混みの中をいくのもつらい。私が死んだ場合、葬式禁止戒名禁止墓は用意していればそこに入れるがなければ押し入れでよい。

 

朝から鬱で掃除もしたくない。ご飯も食べたくない。話もしたくない。そんなことをしてたら旦那も鬱になった。だが気力がない。

 

忌引き休暇をとって迷惑かけたとか思うけどどうでもいい。どうでもいいと思うとき、多分世界との絆を手放すのはこういうときと言うのがわかるからまた鬱になる。

葬式

人生2回目の葬式手配を行なっている。忌引き休暇は連続3日間。仕事が終わらない。故人の日記はめちゃくちゃ面白い。私もこんな日記をかけたら。この人はなんでも記録していて、質問には全てこのメモを見ればまるで本人のように答えることができる。

 

朝と夜に分けて日記の前半と後半を書いていたことがわかる。なぜなら事故の日には前半しか書いていない。年末につき式場の周りで良い店を見つけられそうもないので、葬儀は寿司をつけることにする。ざっと百万円。

 

転職したばかりだから忌引きとるの嫌だなと思ったけど、ここで忌引くれなかったらやめようと思ったので試金石として取得申し出る。止めるときは次を決めてからだが。忌引き休暇を取りたいというと、忌引き休暇は三日間だが何日とるかは自分で決めろという。三日間休めと言え。自分が上司になったら気をつけたい。

 

故人の日記は目標設定と進捗を確実に記録していた。素晴らしい人間だ。脳みその隅っこまでうまく設計されている。しかしその娘である母は明らかに物事を記録することや計画的に行うことができないので、どこか壊れている。私はその中間くらい。母寄り。

 

お焚き上げに行くのもクリスマスケーキを食べるのもよす。1日帰れず実家に泊まり、昼頃15分ほど帰宅して旦那に会う。はぐしてほっとする。クリスマスケーキを食べたという。一緒に食べたかった。故人は死ぬときは苦しくなかったかなあ。どうせ死に目には間に合わなかったのだが、タクシーを捕まえようとしても捕まえ方がわからず。なかなかつかまらないのだが、そんな時にも落ち着き払って失敗だなと思っている自分は、相変わらず自分だ。自分の親族はみんな死ぬときこんなふうに死ぬ。地下鉄に乗っているとき病院から連絡うけたが、とっさに電車を降りてタクシーを拾おうというふうに発想が達しなかった。車社会であればすぐにハンドルを切って病院へ向かっただろう。

 

もう呼吸が止まっていたが温かかった。人は生きているから温かいのではない。温かいから生きているのではない。

 

故人のような丈夫な人も死ぬとなると、世の中バスに乗るだけで周りに座っている人もすぐに死ぬようになると思われる人ばかりである。ちょっとそこの段差につまずいてころび、打ち所が悪くて1週間後に死ぬなどザラにありそうである。このようなことがあると人間どうしても1人で行動することは危険すぎる。人間お一人様時代的な風潮があり、私も1人であるのが好きだが、1人でいるということは、純粋に申し上げて、自分の身体とか性質についてよく知る人が周りにいないということであり、それはとても危険なことである。

 

そしてみなさんは出かけるとき必ず身分証明書、緊急連絡先、そして遺書とか持ち歩いてください。

何が表現者やねん

私の仕事は人を幸せにしない。それが心にずっと引っかかっている。給料は満足。でもそれがなんだろう。いやそれはとても大切なことなのだ。私は旦那と暮らしているから給与と意義について悩んでいるのではない。どうせ1人でもこの悩みを悩んでいた。