いのちばっかりさ

その金字塔/ 心で価値を生み出すこと 人生26年目

Twitter経由転職

Twitterで本当に転職誘ってくれる人がいるとは思わなかったが、もちろんこっちのブログと連携してないから誘ってくれたことは明らかである。Twitterよりブログ明らかにダメ人間の象徴のようになっている。

 

Twitterは脈略の要求されない場所。ブログは脈略を読む場所。だから思考とか人格に脈絡のないことがバレてしまう。

マスコミも報道しない事実

マスコミも報道しない事実ですが、旅行へ行って可愛いお皿を買いました。

 

野菜も肉もこいつで食べます。

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また本日より、今まで

起床→米系食事→勉強など→会社(米系食事)→シャワーなど→ごはん→勉強など→就寝

 

だった生活を

 

起床→勉強など→麺類食事→会社(米系食事)→シャワーなど→野菜系食事→就寝

 

へ実験的に変更します。様子をブログに書きます。

 

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お盆だし親に墓のことを聞いた

私の母は人と違うことを生きがいにしているように見せかけることに人生後半をかけている人だ。自分の骨はエーゲ海にまいてほしいらしい。

 

諸所の態度について本当に新しい物好きの人から見れば痛々しいのだが、とにかく墓とか介護とかの問題については真剣に考えられないみたいだし、介護が必要になった祖父のことも全然世話しないので、結果として祖父が私に東京へ帰ってくるようさりげなくお願いしてくるという惨事に見舞われている。かといって母は完全に祖父から相続する財産をあてにしているので、ほんと仕方ない人だなと思っている。

 

祖父の実家の墓は北陸にあって先祖は寺なので実家の墓が実家にあるという状態である。母はその墓を引き払って東京に移そうとしているのだが、そうなると実家の寺から実家の墓を移すということになり、かなり険悪なというか、なんで?という気持ちになるのは想像に難くない。祖父は嫌がっているのだが、母は嫌がられたところで面倒になり「あなた(祖父)が死んだら私が全部決めて片付ける」という全く結論として話し合いのできていない結論に終わり、母は一人っ子なので、「まあまあ」などと話を止めてくれる人もなく、また母は発達障害の神が現人したのかのような人物で忘れっぽいので、とっくにそのことを忘れている。

 

母は祖母に異常に愛着を感じており、私こそが祖母の気持ちをわかる人物だと主張しているのだが、祖母はもうボケて何もわからなくなっており、老人ホームに保存されている感じで、自分で一言も口を聞くことができない。つまり母が言うには、祖母は祖父の実家嫌いだったから絶対に祖父の家の墓には入りたくないはずだから、東京に新しい墓を作る!というわけなのですが、なんで関係ないお前がそんなことをいうのが私には全く理解できない。

 

まあ私に比べれば古い人なので人とか墓にいろいろ愛着とか懸念があるのだろう。いや知らんがなと思った。お盆になったので、そのことを聞いたのだが、以前の状態のまま代わりがなかったので、まあこれは祖父が亡くなった時に母が気まぐれに極めてADHD的に処理するんだろうと思った。

 

 

ちなみに母はエーゲ海に自分の骨をまいて欲しいそうなので、そのお金はどこから出るのかな?と思っている。

 

このような話を喫茶店で人にすると、自分で思うより人非人みたいな雰囲気になるのだが、誰でも私の身分になったらこれより酷いようにしか振る舞えないはずだというくらい私には慈悲がある。

 

みんな残されたものを扱うのがひどく下手くそ。

 

人に頼って生きていくことが嫌い

私は子供の頃人に頼らないと生きていけないことで大変な辛酸を舐めた。やっと自分でお金を稼げるようになった今、絶対に人に頼らねば生きていけない境遇にはなるまいと思っている。人と触れ合うことと人に頼ることは違う。

人に頼るより頼られるくらいの人間でありたい。

そんなこと言っても調子が悪くて人に頼らないといけない時もあるというかもしれないが、そんな時は自死するか、財 貯金を全て失っても公的サービスに頼るかするであろう。

 

そのような気持ちから私はいつも勉強しているのだ。ということを最近理解した。

 

小説を書くには1人の部屋が必要だと言った人がいるそうだが、生きていくにも1人の部屋(というより自分の金で権利を維持している家)が必要だ。

 

養いきれぬものは自分から切り離すか元から持たないことしかできないのであって、養いきれないもの共々誰かの世話になるなどということはあってはならないではないか。

 

現代人はそんな気持ちで子供を持たないのじゃないか。なぜだか知らない。

 

弱いからと言って強いものに雪崩かかることないじゃないか。弱いなら弱いなりに生きればいいし、強くなれるのなら強くなればいい。頼ることはこれまで弱くとも生きてきたことを灰塵と化すことに他ならない。

 

そのようにして私の母は離婚した時何も持たないし仕事もないから親を頼ったし、自分の子供にも何も持たせず金も稼がせず、家を出るだけの資力を持たないようにわざとしむけ、自分のようにさせずにはおかなかった。誰がお前になど頼るか。

 

私は弱いものなんかつくらないし、自分が弱くならないことで、自分の子供にもまた弱くあらしめない。

 

そうすることで最後に何が残るかといえば何も残らない。大抵の場合弱いものは弱いまま、ただ頼らないだけの人生が続く。死ぬ時良い家にも住めない。どうでもいいんだそんなことは。

物を持つことは欺瞞だと思う

自分に対する欺瞞だと思うし、人に対する欺瞞だと思う。私は何も持っていないのに、必要もないものまで持っていて、そのことで自分を変に安心できる身分と考えたりしている。それは欺瞞だと思う。

 

何もない自分にふさわしく、必要なもの以外は手放せばいいと思う。

 

土地に愛され土着できる人間と、そうではない人間がいて、私は後者なのだから、後者らしくきちんと放浪し、しっかりとこの身と頭脳を、技術を豊かにし、それで渡り歩いていくべきものを。土着族の真似事をしても絶対同じものにはならない。偽物。

 

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ケバブ美味しいですね。

 

 

とくに何の感情もない女

実のところ私は何も思わなくてもいいのだ。基本的に全ての感情を湧いたそばから捨ててしまうことができる。確かに感情のために泣いたりすることはできるし、エロいことをしたり、この人を私とおんなじ気持ちにさせなければ!とか家を買うぞ!とか本当の家族を作るんだ!金をもっと稼ぐんだ!とか思う方向は自分を曲げていくことはできる。それは曲げわっぱ作るときみたいな感じ。川底に石があるから水の流れがかわるみたいな感じ。でも別に曲げわっぱの原料は曲げられなくても普通に生えてればよかったし、曲げられる必要なかったし、川の水は石なんかに変えられなくても良かった。ただ上から下まで流れてれば良かった。流れてさえいなくても良かった。

人も感情なんか持たなくて良かった。嬉しいとか悲しいとか感じる必要もないしただいきて死ねばいい。

 

感情的になり、それを他人にも理解させようとすると相手も疲れるし自分も疲れるので、自分だけで流れに逆らっていないと思うことをすれば良い。

 

基本的に人は結構みんなこういうもので、自分が好きなものは良いもので、居心地の悪いものとか肌が痛くなるものは嫌なもので、だから寄ったり避けたりしたりして、なんか人生に流れをつけたりする。嫌いなものとずっといると疲れるから仕方ない。それはもともと自分の体とか性格とかがそう流れないといけないからそう流れていくんだし仕方がない。仕方がない方向にみんなが流れてそれでもいろんな人やいろんな情報と出会って幸せにいきていけたらいいねえ。

 

感情的にならないと生きがいを見つけられないとか、なんのために頑張ってるのかわからないというかもしれないし私もたまにそう思ってるが、大抵感情的になると人に迷惑かけたり人を巻き込んだりするので、自己完結して自分で苦しんでなんで苦しんでるのか考えながらいきてそのことを人を傷つけないように書いて、静かに死んでいけばそれでいいという人生OK GO ONではないかと今は考えた。

 

土地によってそのように生きることを不可能にさせる装備などを備えている土地もあるので、そのような場所へは行かないようにしてOK GO ONな人生を送れるような自分でいる。

 

この世で起きることは全部他人のせいではなくて自分でなんとかできたことばかりなので、人のせいにしたりしてはいけないので、別に何か起きてもOK GO ONしか言ってはいけないので、このままいくと多分私は神になっていくような気がする。

 

あとみんな野菜食べな。

つかれたよね

ニューヨークでは、「このエリア何が楽しい?」って言っても助けてもらえないらしい。「このエリアでこういうことやりたい!」って言って初めて助けてもらえるらしい。なるほど。面白い。