いのちばっかりさ

生きている記録。生業。放送大学。本を読む。入道雲100年分。

人生がうまくいっていたときなんかない

人生がうまくいっていたときなんかないということが私を安心させる。それでも何とかここまで生きてきたぞ。私にはやりたいことが多い。

・勉強

・充実した食事(品数が多いということではない)

・山歩き

・読書

・旦那とするいろんなこと 小さな会話から大きな計画まで

・書くこと

・早起き

・夜更かし

・仕事

・定時帰り

でも全然できない。

いつものことだ。うまくいっていたことなんかない。

 

カフカのように仕事が邪魔だと言っている。

でももし私のやりたいことがカフカのように書くことだと断言出来たら、もっと書くことはうまくいくだろう。でも私の書いているものは人の役に立つことではない。書くことでただ自分を展開したいだけで、風を通してよくよく見てみたいだけなのだ。

 

乾かさなければいけない部分があるようで、ひらかなければならないのにと思いながら脇を閉じて仕事をしている。

 

婚姻届けを書いたのだが、父と母の名字が違うということを今頃思った。また私の住民票も前の就職先に残ったままだ。自分で納得できるところを探すために、長い道を短い道を行ったり来たりした。父はもう死んだし、私は父を忘れることはない。地方で働いた生活はもう過ぎたけど、私はその生活を忘れることはない。

 

全肯定して歩いていく。

私がなしたことが作り出す轍を見よわたし。というかいつも自分が何をやっているのかよくわからないので、後ろを見て楽しむことしかできないんだよなあ。