いのちばっかりさ

生きている記録。生業。放送大学。本を読む。入道雲100年分。

面接

最近Twitter経由で仕事を紹介された。ところでこの記事は音声入力で書く。私は最近自分が話すのがとてもへたくそだと言うことに気づいたので、音声入力を用いて話す練習をすることにした。音声入力に初めて感動した頃に比べて、音声入力の精度は格段に向上している。そのことに今音声入力を使っていて気づいた。

 

実はこの19日の記事は前日に2時間ぐらいしか寝ていなかったので書く気力もなくて実は20日に書いているものだ。ことのはじまりは上司に誘われて酒を飲んだことで、やはりどんなときにも酒を飲むのは良くない。無理をしたくないと言う女性が多いので、その中でプライオリティーを出すためには酒が飲めると言う意思表示をする必要があると言う思い込みがあり、それは大学時代を過ごした環境からの影響しているのだが、ただの思い込みであり体にも悪い。そもそも別に女の中でプライオリティーなど出さなくても良い。世の中では大体の人は信用できる相手を求めているのであって、自分が求めるままに酒を飲んでくれる女を必要としているわけではない。表面上ではそのような浅はかの求めを持っているように見えるのかもしれないが、結局不安だからそのようなことを求めてしまうのであり、それは大学時代を過ごした環境からも影響しているのだが、ただの思い込みであり体にも悪い。そもそも別に女の中でプライオリティーなど出さなくても良い。世の中では大体の人は信用できる相手を求めているのであって、自分が求めるままに酒を飲んでくれる女を必要としているわけではない。表面上ではそのような浅はかな求めを持っているように見えるのかもしれないが、結局不安だからそのようなことを求めてしまうのであり、深層心理では信用できる相手を求めているのだと思う。そもそも信用に足る相手になることが重要だと思う。そのためには酒を飲むことなどいってきも意味がないのであって、そんな表面上のことでごまかしてしまうような人生を繰り広げてはいかん。日々の付き合いを綿密に深層心理では信用できる相手を求めているのだと思う。そもそも信用に足る相手になることが重要だと思う。そのためには酒を飲むことなどいってきも意味がないのであって、そんな表面上のことでごまかしてしまうような人生を繰り広げてはいかん。日々の付き合いを大切にし、与えられた仕事を面白く成し遂げることが重要だと思う。なんだか話しているいるみたいで、いつもとは違う雰囲気の内容を書いている気がする。

 

今日散歩をしていて果物の名前を英語で言うと言う遊びをしていた。ひとりでしていたわけではなくて一緒に歩いていた人としていたが、自分が頻繁に食べない果物については名前を英語で言うことができないケースが多かった。興味のないものの名前は言えないんで、興味の幅が広い人は英語もうまいのかもしれないね。

 

私は日本語では興味のない果物の名前も言えるのであるが、それはやはり興味のないことにも理解を広めなければならないと言う人間の特性に対して可能性を与えるのが母語であると言うことを表しているのであろう。

 

最近出窓のちょっとへこんでいるところを椅子として使っている。もちろん勉強机に合った高さではないのでやりにくいのだが、このようにしておけば自然と外に勉強しに行くようになり、休日引きこもり生活を脱出できるのではないかと思っていた。しかしながら家にいれば電話して旦那と話せるのでありまた他の誰とも会うことが無いのでとても気楽だ。そういうわけで椅子を捨ててしまい、椅子がなくなった家の中でも、まだ外よりも快適に勉強ができると言うわけで、なぜかまだまだ家の中でゴロゴロムズムズとしている。これは予想外である。これほど強固に家の中を愛していたとは知らなかった。と言うより私は外に出ることが結構大変なのかもしれない。最近SNS上で、不安障害的な何かを抱えているので、電車に乗るときにはペットボトルの飲料を持って乗らなければ落ち着いていられないとか、電車に乗るときには食料を持っていないと安心して行動できないなどの症状を抱えている人の話を見て、私は元からそういう自分を感じていたと言うことに気づいた。こんなふうに家から出る事に向かない人間なのかもしれない。仮に家の中でずっと在宅ワークをすることを考えてみるととてもストレスがない良い環境だと思う。多分人と話すことが少ないので言葉が不自由になってしまうかもしれないが、このように音声入力を使って毎日日記を書けば、そんなに自分の話し言葉のレベルが下がることもないだろう。むしろ社会人生活をやっていて会社に毎日通っている今が人生で1番語彙力がないと感じている。決まりきった言葉しか話さないし、なおかつこのような言葉を使ってはいけないんだと言う規制がある。なんて粗末な色彩のない世界なのであろうか。そのように考えてみると在宅ワークをしている場合、余裕のある時間には読書できるわけだし、何も日差しの強いところに行って頭が痛くなることもないわけだし、過酷な環境で体を疲れさせることもない。その分もやしみたいになってしまうのかもしれないが、日が暮れてから散歩すればいい。そんな生活ができたらなと思う。クイックルワイパーを隅から隅までかけて朝はホットサンドを食べて紅茶を飲んで好きなヨーグルトを食べてあーそんな風に暮らして行けたらなぁ。だけどたまにFacebookを開いて複雑な気持ちになるだろう。結局満足と言うものはない。旦那を大切に生きていきたい。