いのちばっかりさ

生きている記録。生業。放送大学。本を読む。入道雲100年分。

ひとり

考えさせられる本を読むとどう考えても自分の今の状況これからの夢が痒くなり、はたはたと気分が悪くなり不機嫌に陥る。こういう時は私はきちんと不機嫌に陥りたいのだ。呼び覚まされたくないし、相手をかまってあげなければ申し訳ないから浮上しようなどとも思いたくない。励まされたくなどないしとことん自分を無にした上で自分自身のいけなさを目の当たりにしたい。こんな時に子供などに騒がれてたまるか。

 

私がたとえ静かな子供だったにしろ存在することで父の大切にしていたものを壊したことに変わりないのではないか。子供は超然とすることを許さなかった。僕はくそみたいな人間だから、自分のことを「くそみたい」とは書けても「クソみたい」とか「糞みたい」とは書けない弱ものだから、ろくな弔辞も読めなかったし、歩くに申し訳ない。