いのちばっかりさ

生きている記録。生業。放送大学。本を読む。入道雲100年分。

大晦日(ダサい大晦日の記事)

 みんながネットに大晦日大晦日と書いてて、あ、そうか、正月の前の日は大晦日というんだ!と思い出した。この日が来るまでは大晦日ってなんのことだっけかという感じだった。この日が来るまでは「正月がくる」って感じだった。頭の中に正月だけがあった。

 

 本年は大変お世話になりました。来年もどうぞよろしくお願い申し上げます。今日の記事は拉致があかない上に憂鬱な内容が含まれるにつき、ここまで読んだら終わって大丈夫〜〜。コメントやブクマでメッセージを下さった方や見てくださる方、本当にありがとうございました。来年も役に立たない記事をモットーに更新していきたいです。

 

 母の風邪も治り、正月なので家出しているわたくしです。元旦の午後には帰りますけれど。

 

 正月なんで家出するかというと、ダサいということを覚悟で言うと、家族に対する反抗心のためです。二十四歳ですけど。本当ダサい。

 

 午後は祖父に会いに行くので、祖父にはなんの反抗心もないわけではないけどほとんどないのでちゃんと帰ります。老い先短いし。祖父はめちゃくちゃいい人で、その訳は正月に毎年おせちを送ってくれるからです。

 

 電車に乗っていて、プラットホームで鳩を脅かして笑顔になっている女の子をのんびりと車窓から眺めています。乗客は寝ている人が多いです。疲れ切っているのかな。トランクを持っている人もいて、実家に帰ってきたのかな。鳩は大晦日まで苦労が多いね。

 

 2両の電車が同時に同じ方向に走っていて、線路の作りのために平行になろうとする途上でググっと近づいて走る箇所がありますね。そのとき隣の電車が急に近づいてきてすごく恐怖を感じる。でも同時に隣の箱みたいな車両に住んでる人(乗ってる人)がくっきりと見えて、なんだか水槽にいるみたいな気持ちになるな。すごくゆっくりに感じる。そのあと平行になって走り続けるから「あ、あれは平行になる途中だったんだね」とわかる。よかったーって感じで。咳をしている人が多い。辛そうだな。みんな風邪をひかなくなればいいのに。

 

 正月の家でと言うのも、本当にやっても意味がないと思うのだよね。ただなんか、正月なので正直にいうと、私も正月くらいはめでたい気持ちで、明けてやったぜ〜どっひゃ〜〜みたいな感じで過ごしたいのね。それには家出する必要があるのね。家族で集まっておせちとか食べてるとほんとしけたきもちになるのね。

 

 おめでとうとか言い合ってるけど、全然明るい気持ちじゃねえし!みたいな。本当嫌な気持ちになるの。

 

 別に母子家庭が本質的な問題じゃないけど、母子家庭の人のブログとかたくさん読むよ。親のブログも子供のブログも。親のブログを読んでると、本当大変なんだな、と思う。頑張ってるんだ、って。私の親も同じような気持ちになってたんだろうな。ていうふうに。でも大変なんだってことはいつだって理解してたのね。今理解してるのと同じくらい深く子供の時から理解してたの。人間の精神的な営みのことで子供が理解できないことってほとんどないんじゃないかな。理解してても本当に嫌な気持ちになって、そのあとずっと嫌な気持ちが大人になってからも続くってことがあるのね。それに関して再度みんな大変だから仕方ないんだってことがわかっても、何も関係なんかないさ。家族が集まるときに、誰かがそこにいることとか、そして誰かがそこにいないこととかに関して、本当に嫌な気持ちが爆発するようなことがあるのね。誰かが毎年同じようなこと言ってるとか、今年はその人がいるとか、今年もその人がいないとか、ただそれだけのことで本当に猟奇的な殺意が湧いてくるようなことがあるのね。私にとって正月とはそういうことなの。苦痛だよ本当。なんらかの発達とか精神の問題で自分の感じ方に問題があるのかも知れなくて、家族は単に被害者なのかも知れない。けど本当、これだけは確かな感情として、本当に嫌な感じ!嫌いだ!気持ち悪い!ひどい!

 

 だから、家でするのね。つぶグミ食べてる子供とかをハワワって見ながら正月を過ごすのね。

 

 父が死ぬ前父は入院して、そのとき私は入院してることを直接聞いたわけではないけど風の噂に聞いたのね。それは確か正月ごろだった。若かったし、ただの検査入院かなと思って見舞いに行かなかったのね。たしか検査入院だって人にも聞いたので。それからしばらくして父から夜中あたりに電話がかかってくることがあった。私は夜中は寝てて、朝になって昨日なんだったの、ってメールしたのだけど、答えは確か、なんでもないよ、みたいなやつで、「なんだよー」「夜中とかメンヘラかよー」って思ったのね。私の思い出の中で父は常にメンヘラだったのね。常に早く死ぬ俺は早く死ぬって言ってたのだよ。可愛いメンヘラならいいけど、普通のおっさんメンヘラだよー。しかもいつもモラハラパワハラメンヘラー。本当怖かったね。電話が来たらばくばくするくらい怖かった。

 

 父が亡くなって一緒に住んでいた恋人的な?ひとが現れたのね。「あ、こういう平凡なかんじの人と最後暮らせて本当によかったね。安心できたんだろうな。最後に平和な日々を過ごせたんだね。たまに物足りなかっただろうけど。いい人だなあこの人。」って思った。全然嫌味とかではなく。そう思うほど私の母と言う人は平凡じゃない、物事をかき乱す人だったのね。父はそう言う人しか好きになれないんだと思ってかわいそうだなと思ってた。まあ実際平和だったか平凡だったかはわからないし知らない。

 

父は死んだけど、父を語るとかなんと語られるのが父にとっていい気持ちなんだろう。全部の言葉が繰り上げとか繰り下げ見たくなって、ぴったりくる言葉なんて何もない。私が正月を家族の中で過ごしたくないのはそういうこともある。必ず誰かがお父さんの話をする。私が殺したんだ。お前らが殺したんだと思ってしまう。私とお前らが見捨てたんだと。そんな言葉で語られるような人じゃないんだと。

 

 こういうふうに、自分が抱えてる罪悪感を他人にも背負わせようとする自分の性格は本当にだめですなぁ。わかっちゃいるけどやめられない。

 

 今車窓から自動車整備のお店が見えた。わたしもキズやヘコミを直したい。いや直したくない。

 

 だっさい大晦日だな。飲んだことない獺祭とかいうお酒飲んで見たい。全国の神社を父の墓代わりと思っているので、今年もどこかの神社に詣でて供養に変えたいと思います。アーメン、そうめん、年越しそば! 自己満足の塊だなー。

  

  ちなみに母もメンヘラなので、自殺しそうな雰囲気とか言葉をかましてくるので子供の時は全てお母さんのことを助けるために生きていたのですが、アホかと思います。そんなことはしなくていいと思います。今日家出したのでお母さんが自殺したら困るしもうちょっと日をずらせなかったの?と思ってしまいます。後悔するかもしれませんが、もういいですよ。後悔したい生き物なんです。後悔しているのが気持ちいいんです。閉塞感しかない正月なんか嫌ですよ。外でちゃんとしてる代わりにメンヘラ部分のケアを全てわたしに担当させてくるのでもはやパーンです。自己満足でいいんです。

 

 食べさせてもらってるのだからメンヘラ部分のケアくらい担当して当然と言われるかもしれませんが、わたしはそれではきっとずっと自立できないんです。それではわたしは永遠にメンヘラ担当なんです。よくないでしょう。

 

 自立して安心させたい。