いのちばっかりさ

生きている記録。生業。通信制大学。天平の甍、生の短さについて、狼煙

贅沢なものを買うより、コンスタントに美味しいものを食べたほうが良いみたいだ

働き始めてからの習慣で、忙しい時期を乗り切ったり何かを成し遂げたりすると成城石井に行って生ハムとサラミを買って食べる。月1くらい。

 

しかしあまりにも好きすぎるために、買うとすぐに食べてしまい、その後で塩分過剰摂取なのではと心配したり、その食べ物のことが気になって日常の読書や勉強などが集中して行えなかったりする。

 

あと案外自分は生ハムが好きではなくて、サラミだけ好きなのだとわかり始めた。

 

満足度で言うなら、毎日様々な野菜と肉をたくさん食べるほうが満足度が高い。ということもわかってきた。

 

今度からはこういうサラミとか生ハムを買うのをやめ、野菜などを買ってくるようにしようと思う。もしどうしてもこれは食べたいなと思うときには、サラミ一本だけを買うことにしようと思う。

 

というかなんかもう好きすぎて途中からサラミのことしか考えられなくなり冷蔵庫と机を往復しており、そんな有様にイライラして一気に全部食べたので、かえって精神的にも良くないようだ。

 

これが果たして好きなのかよくわからない。やはりもう買わないようにしよう。なくなったとき安心したので、これはどうも病的な単なる依存なのだと思う。なんとなく子供の時親が独り占めしたり、少ししかくれなかったものを買って食べようとしていることがある。子供っぽいからもうやめたほうが良いだろう。

 

仕事も勉強もそうだけど、ある程度成人してから時間がたつと、一極集中だと良くない影響が出て、毎日コンスタントに継続的に何かをやるのが良いみたいだ。子供のときそれができなかった場合でも、そろそろ大人になるとなったら懸命にそのようにできるように鍛錬すべきだと思う。

 

 

 

仕事効率化できて残業減らしていることとか

しばらく同じ仕事しているのでなれてきて効率化できてきた。

リモートワークが可能になり、本当に仕事が早く進むようになっている。大変ありがたい。あと土日特に勤怠とかはつけていないが、仕事を少し一時間くらいやって、平日はのんびり仕事するみたいなことをやっている。これだともう自分の勤務形態にはあんまり関係なく、裁量性みたいになっているが、そのほうが労働が毎日に分散して生活がしやすい。

 

いきなり水曜日や金曜日に残業しまくりとかになると、一週間分の体力がなくなりグダグダになり、幸福度が下がってしまう。

宅建 全然進んでいない。

今日こそ宅建業法の2周目を終わらせ、権利関係に取り掛からねば。自由時間はすべて縄跳びと宅建に捧げよう。

 

そういえば飛び縄買ったのだ。毎日やろうと思う。昨日は連続して94回飛んだ。今日もやろうと思う。どこでもできるので最高だとおもう。

 

やったあと鏡を見たら顔色が良かった。

 

 

急仕立てワクチン

急仕立てのワクチンを打ったけれど、

これを打つとき将来健康を害するかもしれないと思った。直近の健康が著しく害されないために将来の健康を危険に晒したのは初めてだ。

国内13万人以上の人が自宅療養中だというニュースを見た。本当だろうか?信じられない。生まれてこの方最強の疫病だと思う。13万人、というのはよくわからないな。人数の感覚がわからない。

 

会社では未だに出勤させられる。ワクチンが予約できない人もいる。

 

私が日本に唯一感心するところは、人権を重視するところだった。今それも上辺だけのものになっている。

 

日本という国全体が、誰かに叱られないために仕事をしている。自分の目的のために仕事をしていない。会社で起きていることが、全部国全体でも複製されて行われている。

 

共同通信公式 on Twitter: "自宅療養13万5674人 https://t.co/ZAln4p8l74"

朝遅くまで眠りすぎて朝起きるのが遅いので朝ごはんが食べられない

自分でもこれはだめだなと思う。出社する前日は特に勉強しておかないとと思って遅くまで勉強してしまい朝起きれない。これから寒くなるので対策しなくてはと思う。

生きたいという気持ち

今まで死にたいという気持ちとか、死にたくないという気持ちは入れ代わり立ち代わり自分の中を往来していたのだが、生きたいと思ったことはなかったように思う。

 

コロナ禍で私は死にたくないと思うし、こんなところで死にたくないと同時に、生きたいと思っているのではないかという新感覚を味わっている。

 

生きたいというのは能動的な考えであるが、そう思うと同時に日常の行動はむしろ消極的に無気力になっている。

 

死にたくないと思うとき、行動は能動的で本能的で、思い切っていて、つよい。

 

生きたいと思って行動することで、将来生きられないことを招くのではないかと思っている。

 

仕事終わりに岡田斗司夫風立ちぬについて考えている動画を聞いた。

この世界の川

この世界のどうしようもない物を抱えて

台湾に渡った

蟻のように必要で

エボラ出血熱のように容赦がなかった

体の中の血を犯した

咳をごまかす人たちは歩いた

自分の影に怯えるのは初めてだった

それは夜だったが

今までの東京のよるとは違っていた

生きたいと願うまでもなく

汗が濡らすことも愛した

大切なことをずっと望んでいた

突然の死など望まなかった