いのちばっかりさ

生きている記録。生業。通信制大学。天平の甍、生の短さについて、狼煙

会社結構あぶない説

会社結構あぶない説あるので、士業の資格とりたい感ある。今の仕事の内容は追求したいし、今の環境は色々させてもらえるけど、会社潰れそうになったら違う場所で追求したい。

 

会社の何かがうまく言ってるという話はないが、やばい話は毎週聞く笑

 

非上場だしあんまわかんないけどな!

売春じゃなくて買春だったという話

 昨日の記事にコメントをもらって、上司がやってたのは「売春」じゃなくて「買春」じゃないかという指摘だった。

 

 そうでした。上司は売ってるほうじゃなくて買ってるほうなので、「買春」だった。

 

 全然ブシツケとかではないです。コメントくださりありがとうございます。

 

 女性社員にとって男性で偉い上司と長い時間かけて話をしたりするとかはすごく色々考えさせられる機会になっている(なってしまう)。

 

 品性が疑われるような話の中でも、特に性的な話になるとつい急激に気分が悪くなってしまうのは何でだろうと、そういう自分の性質についてはちゃんと考えて行く必要があるなと思っている今日この頃です。

 

 こういう時に、相手を気持ち悪いと思うだけでなく、自分はこの人を反面教師にしてもっとこうしようとか、未来はこうしようと前向きな転化をして行くのがいいのではないかというブクマももらった。私はこれまで結構前向きな転化をできる人だったのだけど、それはいつでも優等生的な視点を持ちたいという思いもあったからで、自分としてこれからはそればかりじゃ生きていきたくないと思っている。自分が将来にわたってどう行きて行くかは自分の心とか品性の問題なので、周囲の下衆な人間を反面教師にする必要はないと思う。自分の行く道を、周囲の人を反面教師にして決めることは、なんかそれも小手先の優等生的すぎる気がする。じゃあ何を見て決めるのかと言われるとそれもちょっとわからないけど。

 優等生的に、全てを遠目に見るようにしていると、だんだん自分の怒りとか、気持ち悪いと思う気持ちが失われていって、それもどうかと思う。そんな仏像みたいな人間になりたいわけではない。もっと怒り狂えるほうがいいんだと思っている。最近に始まったことだけど。気づいてないだけで、もう前向きに転化しても行動しきる力がないのかもしれないけど。

 

 先輩社会人としてコメントしてくれた方もありがとうございます。正直敬虔な何かの信者になったほうが楽なのかなと思いますね最近。まあ野菜たべるやつの強さですからもういいんですけどね。毎日野菜食べてるし。

 

 皆さんありがとう、てかブログやっててよかったなって感じです。ブログを書いてなかったら、悩んで悩むだけだから。

 

 

 

 

 

売春したことある上司

 上司はふつうにどうかしている傾向だと思うけど、自分が過去に海外出張で売春したこととか、お客さんのお金で売春させてもらったこととか、今でも機会があればそういうお店に行きたいことなどをふつうに話している。嘘やろと思う。

 

 これから協力して商品作っていこうという国でよく売春するなぁと思う。僕は葛藤がある。女だからそういうところに誘われないのは良かったなと思う。

 

 クソみたいな所業の男ばかり出張とか駐在にしないでほしいと思う。資本の力にものいわせてこんなことをするなんて。

 

 おっさんたちよりよっぽど勉強好きで頭のいい現地の女性従業員にお酒をつがせたり、セクハラ発言したりして本当に気持ち悪い。微塵でもいいから節度を持ってほしい。

 

 絶対こんなおっさんたちを押しのけてでも利用してでもいいけど上手く生きてやるぞと思う。

 

  あとなんか会社から東南アジアの国に指示してる書類見ると、命令してる、使ってるという感じしかない。自分より賃金低いからって軽蔑してるのか何か知らないけど、それはないだろうこやつ、と思う。成長力では負けてるんだよ、と思う。ほんとくだらない。それで指示したことが出来てないとか、実際現地に行って指導してやらせないとやってない、とか言うけど、そらそうだろうと思う。

 

 自分が面白い、興味があると思うことをやるのはいい。それを仕事にできてよかったね。しかも、それを安い賃金で請け負ってくれる人がいてよかったね。さあ製品ができました。自分の功績になってボーナスもらえたよ、一目置かれたよ、よかったね!でもそれだけ?それをやってくれる人も発展していくのでなければ、本当に1人遊びだよ。

 

 技術を学んで自分で作れるようになったら、合弁解消して1人でやっていくよ。日本企業と合弁って、古びたラベルだけど意外と目立って役に立つよ。けどもういらないよね。

 

 なんで自分がそんなにすごい仕事してると思えるのか。新しくあり続けない企業と合弁なんかする理由ない。いつか捨てられるに決まってるのに。

 

 なんで仕入れ先にご飯ご馳走してもらったら「ありがとう」と言わないの?当たり前だと思ってるのかな。なんで仕入れ先にご馳走しないの?なんでその逆が当たり前だと思ってるの。

 

 もう疲れたよ傲慢さに。考えるべきことを考え損ないたくない。つらい。

 

 上司が事あるごとに現地の女性社員に手を貸して、足場の悪いところを歩くのを助けようとしたりするんだけど、その度にイライラしてしまう。その汚い手で触るんじゃねえよと思ってしまう。そう言う事思うのは良くないと思うのだけど。ほんと認められない。

 

 父が生きてたらこの話を父にしただろうか。父もあんなことしたんだろうか。してたらやだから多分話さなかった。

 

 深い水たまりの上を走るとき、ざわざわと音がするのだ。その間全てを忘れていい音だなと思っている。

 

 海外にちょっと行って仕事もして、父も生きていればこの仕事ぶりを見せたいとか思わないこともなかった。けど自分はもう本当に嫌だ。こんな妙な人たちに従って仕事している自分はなんなのかと。

 

 人生はなかなか困難。こう言うこと経験した人いませんか?何かコメントくださいませ。

首長になってる民族

首に輪をはめて首長になってる民族の人がいる店に行って、上司が喜んでいた。2人の人の真ん中に座って一緒に写真を撮るといって撮っていた。

 

私はどうしても撮る気にならなかった。それで空気読めないなと思われたかもしれない。でも空気を読むために、この違和感を反故にしたくないのだ。

 

確かにあの人たちは自分でそういう仕事を選んでいるし、土にまみれて畑仕事より体にもいい仕事かもしれない。重いものも持たないし。この人たちが選んだことに対して、人を晒しものにして、とか感じている私の方が失礼なのかもしれない。カフェで働いている人のことを、勝手に「カフェで働くなんて不自然だ」とかいってる人みたいにおかしな話なのかも。自由意志で選んだのなら私がなんとかいうことではない。

 

ただ、私はまだそれを考えているから、一緒に写真を撮ることはできなかった。

 

上司は中国より東南アジアの方が人がいいから好きだという。私は分からないのだ。人がいいという発想が。「人がいい」というのはどういうことだろうか。それはおそらく文化的宗教的風習的に、人に対してあたりが優しいということだろうと思う。でもそれはその全てを共有する人たちの中で暗黙の了解に基づいて行われてきたものなので、共有しない人たちが何も感じずに受け取っていいものではない。それを受け取って良い気持ちになるのなら、自分も全ての了解を理解しなければならない。これが郷に入っては郷に従えってことなのかもね。

 

あの女の子はほかの女の子と違ってお酒注いでくれるから好きだ、といってるのと変わらない。女性たちの間にあるありとあらゆる暗黙の了解を踏まえてその女性はお酒を注いであげることを選んだのだと思う。それを理解しない人が簡単に「あの女の子はいい」などと言っている場合ではない。

 

今日は「ちがいの境界」について書いたみたいなブログになってしまったな。

 

 

首長になってる民族

首に輪をはめて首長になってる民族の人がいる店に行って、上司が喜んでいた。2人の人の真ん中に座って一緒に写真を撮るといって撮っていた。

 

私はどうしても撮る気にならなかった。それで空気読めないなと思われたかもしれない。でも空気を読むために、この違和感を反故にしたくないのだ。

 

確かにあの人たちは自分でそういう仕事を選んでいるし、土にまみれて畑仕事より体にもいい仕事かもしれない。思いものも持たないし。この人たちが選んだことに対して、人を晒しものにして、とか感じている私の方が失礼なのかもしれない。カフェで働いていることを、勝手に「カフェで働くなんて卑屈だ」とかいってる人みたいにおかしな話なのかも。自由意志で選んだのなら私がなんとかいうことではない。

 

ただ、私はまだそれを考えているから、一緒に写真を撮ることはできなかった。

 

上司は中国より東南アジアの方が人がいいから好きだという。私は分からないのだ。人がいいという発想が。「人がいい」というのはどういうことだろうか。それはおそらく文化的宗教的風習的に、人に対してあたりが優しいということだろうと思う。でもそれはその全てを共有する人たちの中で暗黙の了解に基づいて行われてきたものなので、共有しない人たちが何も感じずに受け取っていいものではない。それを受け取って良い気持ちになるのなら、自分も全ての了解を理解しなければならない。これが郷に入っては郷に従えってことなのかもね。

 

あの女の子はほかの女の子と違ってお酒注いでくれるから好きだ、といってるのと変わらない。女性たちの間にあるありとあらゆる暗黙の了解を踏まえてその女性はお酒を注いであげることを選んだのだと思う。それを理解しない人が簡単に「あの女の子はいい」などと言っている場合ではない。

 

今日は「ちがいの境界」について書いたみたいなブログになってしまったな。

 

 

プレゼンの力

 プレゼンは言語を超えて届く。優れた図解があれば言語がなくても伝わる。

 

 プレゼンは自分が去った後も説明用資料として活用される。自分の言語で書いた場所を、現地スタッフが自国語に書き換えて現地作業員に説明できる。

 

 のではないかと思った。

大変になってる

二つの仕事両方やってて大変になってる。

 

なんかだるすぎて自分で買った高いお土産自分で開けて食べようとしてる。

 

夜しか旦那に電話する時間がない。旦那元気かなーとか思っている。風邪をひかないようにする。夜早く寝て朝早く活動するようにしたい。

 

自分は環境の変化とか全然大丈夫とか思っていたけど、やっぱ色々鑑みるとそうでもないようだなー。異常に眠くなる。

入社3ヶ月以上経ったけど、勤続してる

 入社してから

 欠勤0

 遅刻0

 徹夜0

 半徹夜1

 愚痴言った数 一億回くらい

 

 最近だいたいわかってきたのだけど、「期待してるよ」っていうのは「頼むからやめないで」って意味だったんだなーって。

 

 おじさんが「××については私はあまり知らない」というのは、「××についてはもう勉強しない」という意味なんだなって。

 

 もう知らなくてもいいやって思うことは、世界からの吸引力を感じられなくなってしまったのかな。給料安いのと、世界について無関心になるのは別の問題なんじゃないの。

 

 思えば毎日同じ場所に通って、職場で睡眠学習することもなく頑張っている。小中高大学と、こんなに毎日ちゃんと通って、不適切な場所で不適切な睡眠をしないでやっていたことはなかった。素直に偉い。

 

 思ったんだけど、自分に向いてる仕事と向いてない仕事というのは明らかにある。私はものを調べるのが好きで、それを人にわかるように説明するのも好き。わからなかった人にも伝わればそれが嬉しい。間違いなく入力するのは嫌い。創意工夫がないのも嫌い。でもその仕組みに感心しているうちは、その入力作業とかにも集中できる。自分が入力したものが間違えているか否かは、自分で確かめるものではないと思ってしまう。結局間違えたところは何度見ても見つけられない。調べたらそれを実践する段になるのかもしれないけど、その時記録を正確に取るのとか嫌い。嫌いっていうのは努力してもうまくできないの意味。その前に努力しようとした時点でなんかすごく鬱になる。私はどんな道もまっすぐに進めない。道から外れて右往左往した結果、戦力外通知されてから帰って来た時にはなぜかみんなより道や周りのスポットについてすごく詳しく説明できるタイプ。

 

 思ったことを黙っているのは嫌い。そのことを発言して誰かに陰口叩かれても平気。信頼損なうようなことして、自己弁護している人は嫌い。てか別に嫌いじゃないけど、毎日その話を聞かされて相談とか言われると、その問題はその人の性格から来てるから私には直せないしだるい。派閥とかだるい。役に立たない人のご機嫌取りなどしない。会社は営利団体なので誰かをはぶるよりはみんなの能力を発揮できるようにして最大に金を稼ぐべき。

 

 人の話を聞いて自分のやり方を直すのは好き。ちゃんと調べた時には、そのことをみんなに明らかにできるような質問をしてもらうと嬉しい。質問されるのは全然平気。こんな新人でもそれなりにあーだこーだやっているんが人の足りない中小企業のいいところ。でもこの先が見えない。でも大手企業に入社していたら潰れてた気もする。

 

 ユーモアを言えるセンスは大事だと思う。死にそうな時でもシャレを言ってたい。自分にそれができるのはブログ書いてるからってのもあると思う。

 

 あと近頃ではこのブログがバレても、日頃の発言の補足を書いてるだけなのでたいして違いが生じない気がしてきた。でもバレたくはない。そろそろ実生活の方怒られそう。

実家に行ったら香料くさすぎた

実家に行ったら香料くさすぎて全身が痒くなって眠るどころではなかった。リプトンのイエローのやつがあったから飲んでいる。そういえば香料あんまり取り入れないで生活してた。特に化粧品がやばい。

 

こういうのはかゆいと思うとさらにブツブツになるのだ。なんか寿命縮めてる気がした。こういう変なストレスが重なって体に不調をきたしそう。

 

ブッダ物語を読んでる途中だったのに、落としてしまってもう読めない。そんな本は所有しないで図書館で借りなよとブッダが思ったのかもな。涅槃を目指して仙人の修行場的なところを去る場面で物語が断ち切られてしまった。まだ始まったばかりだ。

 

どこへ行ってしまうのか。それにしてもなんと分かりやすくて良い本だったんだろう。これがつまらない本なら落としてももういいや、と思っちゃうことだろう。けどそうじゃないから、仕事が終わったらきっと図書館に行って借りてしまう。たしかに最近ものを持ちすぎた。束縛が生まれようとしていた。

 

この仕事が終わって家へ帰ったら、さっさとものを売って、綺麗に掃除するのだ。いつでもどこへでも行けるように。家にいてもとらわれないように。あの本を落としてしまったので、読んでいたことが夢のように感じられる。

 

読むことではなく、人の姿勢に学ぶことも大切だよとも言いたかったのかもしれない。素直な気持ちで。まずはこの仕事、ベストを尽くすぞ。

 

頑張ろう。でもなんのためにっていつも思うけどな。てかさわやかなCM多すぎじゃん。こういう落ちのCMないの?

 

あのさー、自分の冷蔵庫ある生活っていいよなー。自分の好きなもの食べられるし。腐らせたり熟成させたりしても全部自分の責任だしさ。わたし全部自分の責任じゃないとやる気起きないんだよね。新卒採用の面接私にやらせてくれないかな。入社後のギャップとか一切ないくらい全部教えてあげるし聞いていないことも教えてあげるんだけどね。そっから全部何が何でも変えていこうっていう人だけ作り上げて採用するんだけど。