いのちばっかりさ

生きている記録。生業。放送大学。本を読む。入道雲100年分。

売春じゃなくて買春だったという話

 昨日の記事にコメントをもらって、上司がやってたのは「売春」じゃなくて「買春」じゃないかという指摘だった。

 

 そうでした。上司は売ってるほうじゃなくて買ってるほうなので、「買春」だった。

 

 全然ブシツケとかではないです。コメントくださりありがとうございます。

 

 女性社員にとって男性で偉い上司と長い時間かけて話をしたりするとかはすごく色々考えさせられる機会になっている(なってしまう)。

 

 品性が疑われるような話の中でも、特に性的な話になるとつい急激に気分が悪くなってしまうのは何でだろうと、そういう自分の性質についてはちゃんと考えて行く必要があるなと思っている今日この頃です。

 

 こういう時に、相手を気持ち悪いと思うだけでなく、自分はこの人を反面教師にしてもっとこうしようとか、未来はこうしようと前向きな転化をして行くのがいいのではないかというブクマももらった。私はこれまで結構前向きな転化をできる人だったのだけど、それはいつでも優等生的な視点を持ちたいという思いもあったからで、自分としてこれからはそればかりじゃ生きていきたくないと思っている。自分が将来にわたってどう行きて行くかは自分の心とか品性の問題なので、周囲の下衆な人間を反面教師にする必要はないと思う。自分の行く道を、周囲の人を反面教師にして決めることは、なんかそれも小手先の優等生的すぎる気がする。じゃあ何を見て決めるのかと言われるとそれもちょっとわからないけど。

 優等生的に、全てを遠目に見るようにしていると、だんだん自分の怒りとか、気持ち悪いと思う気持ちが失われていって、それもどうかと思う。そんな仏像みたいな人間になりたいわけではない。もっと怒り狂えるほうがいいんだと思っている。最近に始まったことだけど。気づいてないだけで、もう前向きに転化しても行動しきる力がないのかもしれないけど。

 

 先輩社会人としてコメントしてくれた方もありがとうございます。正直敬虔な何かの信者になったほうが楽なのかなと思いますね最近。まあ野菜たべるやつの強さですからもういいんですけどね。毎日野菜食べてるし。

 

 皆さんありがとう、てかブログやっててよかったなって感じです。ブログを書いてなかったら、悩んで悩むだけだから。