いのちばっかりさ

生きている記録。生業。通信制大学。天平の甍、生の短さについて、狼煙

私もイスラーム圏で働きたい

 この本を読んだ。

 イスラーム圏の様々な職種の色々な企業の現場における就業経験 を持つ人たちが、仕事を通じてイスラーム圏とその人々をどう見たかを、それぞれ書いている。 

 

 この本を読んで、これまでの「イスラーム圏では女性はうまく働けないし、きっと企業でも女性はイスラーム圏に派遣してもらえないだろう」という考え方が変わった。とくに元気づけられたのは、JICAやパデコ等で仕事した田中香さんの話。この人はパキスタンアフガニスタンをはじめ、様々なイスラーム圏の現場で、ボランティアではなく仕事としての開発援助として、母子保健プロジェクトや選挙支援等に携わった。田中さんは、イスラーム圏に日本人が仕事で訪れる場合には、男性と女性の出来ることは全く違うと書いている。そのためイスラーム圏では、ジャンダーバランスのとれた、男女両方が居るグループを組織した方が、仕事が円滑に進むという経験をしたと書いている。

 

 イスラーム圏では女性はビジネスの仲間として相手にされないという印象を持っていたが、田中さんは、たしかに女性は一人前に扱われていないが、それ故にかえって男性よりもスムーズに高官と会うことが出来たり、イスラーム圏の女性に直接会えたりするのですよということを教えてくれた。

 

 仕事って楽しいじゃないか!と思った。仕事というのは工夫なんだな、と感じた。工夫していくうちに繋がっていって、配慮が出来て、相互理解が深まり、自分の血となり肉となる。学生のうちは全く体験できないことが仕事の中で待っている、という待ち遠しい感じがする。

 

 これまで私はただ単に珍しいから異文化が好きなのだと自分で思っていたけれど、この本を読んでいるうちに少し違う理由からなのかもしれないと思い始めた。国内の同年代の仲間の中に居ると「イスラーム圏は女性が働ける場所ではないでしょ」とか、「イスラーム圏はこわい」とかの言葉で、相互理解の余地なく切り捨てられている、そういうものの奥をもっと自分で見たいと感じているから、異文化にも興味があるのかもしれない。その奥に居るのはまぎれもなく人間で、私はその人間と本当の意味で理解し合いたいんだろうと思った。そして人間がみんな理解し合いながら仕事をして、よりよい将来の世界を作っていけるようになればと思う。

 

 私もイスラーム圏で働きたいと強く決意した。こんなふうに、過去から連れてきたテーマをこね回しながら、いつでも早く出て行きたいと思っている一面がある。でも静かな時や本を読んでいる時、やはり過去からのテーマについて考える。というかいつも下地には過去からのテーマがある。早く出て行きたいと思うのも、違うものを知ることによって、今まで見えなかった線が見え始めるのかもしれないし、自分の視点も充実するんじゃないかと思っているからかも。今は視界が常に欠けている感じだから。

 

 最近イスラーム系の本がたくさん出版されている気がする。今日大学内の書店に行ったらイスラーム特集棚が作られていた。全部読みたい。いくつか資料として手元に置きたい本もあったが金欠なので少しずつ立ち読みしますか。

 

 少し前からこの本を読んでいるのだが、面白くてたまらない。コーランにすごく興味を持っている。

『コーラン』を読む (岩波現代文庫)

『コーラン』を読む (岩波現代文庫)

 

 

 「Assalamu Alaikum(アラビア語でPeace be upon you)」

と歌詞に入っている英語の歌。歌い手の動きがなにかふわりふわりとしているように感じるのは私だけでしょうか。

www.youtube.com

 

 

イスラーム圏で働く』の中で扱われている企業等は以下の通りです。

 

エミレーツ航空

www.emirates.com

石油資源開発株式会社

www.japex.co.jp

朝日新聞社

www.asahi.com

三菱商事

www.mitsubishicorp.com

三井物産

www.mitsui.com

共同通信社

www.kyodonews.jp

・福島技術士事務所

 Lithosphere Technology and Emvironment福島技術士事務所

・日系自動車企業の在トルコ法人 ※法人名不明

・JICA

   JICA - 国際協力機構

・桃太郎食品 ※公式サイトなしと思われる

・ヤクルト

www.yakult.co.jp

・ミヤコ国際ツーリスト

 http://www.miyako-kokusai.co.jp

 

 

最近のこと ロシア料理 無関心と復学

 中国語を使ってのバイトは、語学力の不足と、長時間シフトを望まない故に採用されなかった。残念だが、今働いている書店でも中国人のお客さんは居るし、接客中国語の勉強は無駄にならないだろう。また機会があれば応募したい。毎日中国語の勉強を少しでもしよう。

 

 最近、今まで我慢していた『亡命ロシア料理』という本を買った。

亡命ロシア料理

亡命ロシア料理

 

  Amazonでたまに「在庫あり」になっているのだが、そのたびに買うか買うまいか迷って、迷っているうちに売り切れになってしまう。Amazonにはあまり出品しない方針なのだろうか。「クレジットカードで買えば、引き落としは来月だし...なんとかなるだろう」という良い子は真似しちゃいけない心境でポチった。届くのが楽しみ。ちなみに出版社は未知谷未知谷のホームページは、ちゃんと刊行物の目次まで載っているところが嬉しい。Amazonも目次を載せるようにしてほしいものだ。

www.michitani.com

 最近までこの出版社をよく知らず、この前の神田古本まつりのときに未知谷のブースを見て「なんか面白そうな本があるなー!!!」と感動した。数冊買ったのだが、『亡命ロシア料理』を含む、当然わたしの好みからして買うべきだった本を、その時買わなかった。あの時買っておけば安かったのに。

 本年からは神田古本まつり予算を組んで、お財布に余裕を持たせておこうと決意した次第。

 

 そういえば、もうすぐ復学の申請を出さなければならない。大学に戻ることが苦痛でないと言えばウソになる。何しろ時間の自由が奪われるし、雑事に追われる。けれども大学に戻らずこのまま就職して、日雇いバイトで出会ったブラック企業のあんなこんな心の荒んだ人たちと、未来の見えない仕事を続けていくのは嫌だ。そもそもやはり大学の内容がどんなものであったにしても、大学に行けることは幸運だ。お金がかかるのに何も有意義なことができないと、嘆いていたが、ずるく言い換えれば、何も有意義なことをしなくても、お金を払うだけで時間が得られる。だから大学へ戻ろうと思う。お金が足りなければアルバイトすればいい。

 

 そもそもなぜ法学部に入ったのかということを書いておきたい。

 私は、自分の家庭が比較的めちゃくちゃだったために、そのせいで子ども時代まったく好きなことが出来ず、いつも暴力とか罵倒とか、そういうもののそばで生きていた。新しい生活を手にした後も、しばらく自分が何者なのか分からず、途方にくれ、荒んでいた。でも私は家庭を恨む気は全くなく、みんな精一杯生きていたけれど、結果的に何も上手く行かなかったのだから仕方ないと思っている。

 この前ちょっとそういうことを大学の相談員(カウンセラー)さんに話した。そうするとやっぱり、親を恨みますかと聞かれる。でも親は恨まない。どちらかと言えば、私の家庭がめちゃくちゃだったのを知っていたのに、世間では誰も助けようとしてくれなかったという気持ちの方が強い。親よりも社会に恨みがある。

 

 警察、学校、ご近所さん、みんな知っていたのに、誰も助けはしなかった。私はそれが法律の問題なのではないか、法律がちゃんとしていないから、誰も助けなかったのではないか、と高校卒業時に考えて、法学部進学を決意したのだ。そのとき私にとって、法律は敵だった。いつか自分の手で変えてやるもの、それが法律で、私は敵を知るために大学に進学した。非常な熱意を持って。

 

 非常な熱意を持って法律を勉強し始めたがために、変なところに深入りしたりもした。例えば入学当初から刑法の家族に関する部分についての論文をたくさん読んだりとか、まだ民法総論しかやっていないのに、3年生から始める民法の家族に関する部分の本を読んだりなど、完全に正規の法学部のプログラムから外れたやり方で勉強し始めた。たいして頭も良くないのに、そういう変なこともした。

 

 そのとき私は本当に「やっと自分のテーマについて取り組めるのだ。だってここは大学なんだもの。大学は自分の好きなことを勉強できるところだとみんな言っていたもの。」という気持ちだった。今思えば、阿呆である。

 

 「大学に行けば、自分の好きなことを勉強できる」とは確かに周囲の人がみんな言っていたことだった。それはでも、私が受け止めていたような意味ではなくて、せいぜい「高校までは自分にとって意味のないと感じられる科目も勉強しなければいけないけど、大学ではすきな科目だけ勉強できるよ。」というくらいの意味だったのだ。それを私は、「大学に行けば、雑事に妨害されずに、人生の最重要テーマについて追求できるよ。」という意味だと解釈していたのだ。こりゃあほんとの阿呆だ。

 人生の最重要テーマなら、大学に入るとか、就職するとか、そんな外的変化に影響されずにいつでも打ち込めばいいのだ。どこかへ行けば、雑事がなくなるとか、そんなことはありえない。どんな雑事があってても諦めないで追求し続けるから、人生の最重要テーマなのではないか。そして人生の最重要テーマであれば、大学に入ったらとか、そんなことを言っていないで、すぐに取っ組み始めればよいのだ。何才であっても、どれほど頭が悪くても、自分のために取り組むべきなのだ。

 

 私は法学部に入って、まあ結局は良かったと思っている。自分には触れることの出来ない社会の骨格だと思っていた法律に触れることが出来たし、法律というのはそんなにたいしたものじゃないと分かったから。

 たいしたものじゃないというのは、法律や制度は所詮使われなけれな意味がないということがわかったので、そう思ったのだ。その法律や制度の主旨を理解し、その趣旨を本当に実現させようという情熱を持った人たちが働かないと意味がない。とにかく「今日の仕事はミスなく終わらせとけばいいでしょ」というような仕事人が何人居たとしても、結局それでは世の中は良くならない。

 

 例えば本屋で、「董其昌という人の書の本なにかありますか?」という質問をしてきたお客さんが居るとする。その人の本はないので「置いてないです。申し訳ありません。入荷予定も今のところございません。」と伝えるのは楽だし、その書店員はミスない仕事をしたといえる。でも本当はもっといい対応が出来る。もしその書店員が「お客さんのために本を探す」という制度というか、仕事の本当の趣旨(お客さんに役立つ本を届ける)を理解して、本気でその趣旨を実現しようという気持ちを持っていれば、「当店にはございませんが、もしよろしければ、別の書店で扱っていないかお調べします」、「当店にはございませんが、ネットで調べたところ、近日この本が出版されるようです」とか、「当店にはございませんが、日本の古本屋というサイトで、近くの古本屋で扱っているかお調べします」とか、「近くの古書店に在庫があるようなので、電話して確認しましょうか」などのサービスが出来る。

 こういうちゃんとしたサービスをすれば、お客さんも「ネットショッピングじゃなくて店頭で買ってよかった。」と思うかもしれないし、紹介した先の書店ともつながりが出来て、お客はつくし、書店同士で情報共有が出来たり、お客さんを紹介し合ったりなど、世の中が良くなり、かつ仕事がしやすくなる可能性がある。

 

 結局はそういうことなのだ。制度や仕組みがあるだけではだめで、それを実現させる人たちが、心で戦わなければいけない。

 

 私は法学部に入って、家庭内のトラブルを解決するために様々な法律や制度や機関が設けられていることを知った。そして同じ法学部の学生や教授なのに、判例に載るような事件やトラブルを起こす人をどこか馬鹿にして「自分とは関係ない」とか「どうでもいい」と考えている人たちがとても多いことも知った。

giveus.hateblo.jp

 

 この「疑問」という記事を書いたのは、なぜ人はそう無関心になるのか、という「疑問」があったからだ。もし子どもの頃の私の周りに居る人たち、周りの世間が、本気で子どもを守ろう、頑張っているのに人を殴ってしまう人にこれ以上ひどいことをさせてはいけない、家庭内でのトラブルで人が傷つくことのないようにしよう!という心を持続させて仕事していたのなら、誰も傷つかなかったのではないか。もっとはやく事態は改善していたのではないか。

 

 私のこれからのテーマは、「人を無関心にさせないためにはどうすればいいか」、「なぜ人は無関心になるのか」、ということだ。

 

 暇つぶしにどうぞ

 →太宰治 トカトントン

 

 

 

 

 あとこれ気になる。

泣き虫弱虫諸葛孔明〈第1部〉 (文春文庫)

泣き虫弱虫諸葛孔明〈第1部〉 (文春文庫)

 

 

 

チュニジアのベルベル人

  先日、チュニジア共和国大使館のホームページからリンク先に飛べない事態を発見したので、チュニジア共和国大使館にメールしたところ、とても丁寧な返信をいただいた。

 

giveus.hateblo.jp

 大使館にメールしたのは人生で初めてだ。学生であることをメールの末尾に記したのだが、一学生の私に対しても丁寧に返信をしてくれた。どんな人が大使館で働いているのだろうか。調べる方法がないが、とても興味を持った。

 

 いただいた返信によれば、大使館のホームページから飛べるはずになっているキャンペーンのページは過去のもので、今はチュニジア国家観光局の公式サイトを更新しているそうだ。このサイトがとても美しい。

 

gotunisia.jp

 

 ベルベル語に惹かれてチュニジア共和国大使館のホームページを発見した旨すこしメールに書いたら、チュニジアのマトマタに古くからベルベル人が住んでいた住居があると教えていただいた。宿泊できる住居もあるとのこと。すばらしい!中国の客家円楼など、伝統的住居に宿泊することにはとても興味があります。

 

 

gotunisia.jp

 サイトによれば、ベルベル人の住居はあの「スターウォーズ」に、ルーク・スカイウォーカーの住居として登場していたらしい。

 

 建築設計事務所がどんな建築かを詳しく書いているページ(http://www.court-yard.com/travel-tunisia.html)も見つけた。・・・ていうかこの際とめちゃくちゃ面白いじゃないか!「中庭のある家づくり」の参考として、モロッコ、チュニジアアルジェリアとイタリアとスペインの建築について書いているが、もっといろいろな建築を扱ってほしい!とはいえ建築設計事務所はそれが本業ではないのだから的外れなお願いはよそう。(でも客家円楼も中庭あるし。どうかしら...?)

 

 これによれば地面から10メートルほど掘り下げたところに部屋を作って住んでいるみたい。砂漠の中だからだんだん埋まってしまうのではないかと心配になる。でも今はこのような住居に住んでいるベルベル人は居ないようです。

 

 ネットで調べていたら結構いろいろとベルベル人住居に関する日本語のブログがヒットするので、かなり日本人に人気のある観光スポットなのだなと思いました。あとWikipediaによると沢尻エリカのお母さんがベルベル人みたい。知らなかった。

 

 

  「マグレブ紀行」にもベルベル人の項があるようです。読んでみたい。

マグレブ紀行 (中公新書)

マグレブ紀行 (中公新書)

 

   

E08 地球の歩き方 チュニジア 2010~2011

E08 地球の歩き方 チュニジア 2010~2011

 

 

ベルベル人とベルベル語文法―民族・文化・言語 知られざるベルベル人の全貌

ベルベル人とベルベル語文法―民族・文化・言語 知られざるベルベル人の全貌

 

 

ベルベル語とティフィナグ文字の基礎: タリーフィート語(Tarīfīt)入門

ベルベル語とティフィナグ文字の基礎: タリーフィート語(Tarīfīt)入門

 

 

 

 ベルベル人は今までどうして来たのか、今はどうしているのかについて書いていませんが、まだちゃんと調べていないので、そのうちにまた書こうと思います。

  

 チュニジアまで行くにはイスタンブールで乗り換えていくみたい。片道12万円はかかるみたい。早くお金を稼いでいってみたいなあ。なぜお金を稼いでるときには時間がなく、時間があるときにはお金がないんだろう。やはり子どものためには金持ちになろうと本気を出して頑張らねばならないのかなあ。自分子どもとか、全然考えたこともないけど。というか子どもじゃなくて私が行きたい。

 

 ※チュニジア産のデーツは羊羹みたいな味でした。すごく美味しかった。 

 

デーツがあるからおやつが楽しみ 

 今日のおやつのデーツ(ナツメヤシ)はチュニジア産。高田馬場のハラルスーパーで購入した。チュニジア産のデーツは見たことがなかった。私がはじめてデーツを食べたのは、アラビア語入門の授業でだった。当時はとにかく時間と何らかの支払いに追われていたので(今でもそう事情が変わったとは言えないが)途中で交通費を稼げなくなり、ちゃんと最後まで通えなかった。でもあれはとてもいい経験だった。もう何年も前の話だが。

 

 なんにしろ心を決めて通い始めたところにちゃんと最後まで通えなくなるのはつらいことだ。もうちっとお金と時間に余裕を持ちたい。とはいえ、一体どう振る舞ったら将来において、時間やお金の余裕を生み出せるのか見当がつかない。しかし、なんとかして成功しなければならない。けど本当にどうしたらいいのだろう。

 

 とりあえず接客中国語をきっちり勉強しよう。そしてHSK5級でも良い点数を取る。割のいいバイトをしてちゃんと稼ぐ。でもなんだか、資格を取るとかばかり言っていて大丈夫なのかなと思う。子どもの頃は世界のどこへ行っても生きていける人間になれると確信していた。それが自由というものだと。

 

 デーツがあるからおやつが楽しみだ。デーツにもいろいろな種類がある。べたべたしてるのもあれば乾いてるのもある。産地も様々。色々食べ比べてみたい。おすすめがあったら教えて下さい。

 

 チュニジアWikipediaで調べたら、アラビア語の他に、フランス語も話されていると知った。あと「ベルベル語」も。始めて見たけど、ベルベル語の文字がすごく好きだ。本も出ている。すごくかわいい。すごくほしい。お高い!

 このような分野の本を手に入れてどうするというのか。子どもみたいに珍しいものをほしがって、ちょっと自分にあきれます。

 

ベルベル語とティフィナグ文字の基礎: タリーフィート語(Tarīfīt)入門

ベルベル語とティフィナグ文字の基礎: タリーフィート語(Tarīfīt)入門

 

 

 これはチュニジア共和国大使館のホームページ。→在日チュニジア共和国大使館 - Embassy of the Republic of Tunisia

 一つ疑問なのは、このホームページからI LOVE TUNISIA キャンペーンに飛ぼうとしてリンクをクリックすると、よくわからない占いのサイトに飛んでしまうのはなぜなのかということだ。メールにて一応、大使館にお知らせした。

 

 バイトいってきます。

チュニジアを知るための60章 (エリア・スタディーズ81)

チュニジアを知るための60章 (エリア・スタディーズ81)

 

 

 

中国語を使うバイトをする 中国語を鍛える

 4月に復学する予定だが、復学すれば何かとお金がかかる。外食が多くなるし、定期代や交際費も必要だ。何かいいバイトがないかなと考えていた。

 

 今は中国の春節の一歩手前。中国語関連のバイト募集が目につく。自分も案内所で中国人の相手をするバイトをしてはどうかなと思いついた。中国語を使うバイトなら、中国語の能力アップにもなるし、中国鉄道旅をするときのために中国語を喋る習慣をつけることもできる。案内所で案内するだけのバイトもあるから、体力的にも楽だ。中国語をちゃんと鍛えようと思う。

 中国語をバイトで使うために、一週間この本でみっちり接客中国語を勉強しようと思う。まず5日間必死で勉強し、バイトに応募する。大体バイトの面接が行われる日まで勉強すると一週間だろう。

 やると決めたら本気だ。一生懸命おぼえる。弱気になりそうなときほど打ち込んで頑張ってみよう。

 

中国人観光客の心をつかむ接客フレーズ500  現場で役立つ中国語対応術

中国人観光客の心をつかむ接客フレーズ500 現場で役立つ中国語対応術

 

 

 

  

高田馬場でミャンマー料理 復学したらどうするか

 昨日、高田馬場へ行った。復学すればまた毎日ここを通るのだ。しかしながら、高田馬場駅と私の大学W大のキャンパスは、ずいぶん離れていて、「普通に歩く距離じゃないでしょ」という感じなので、お越しの皆さんは地下鉄東西線早稲田駅で降りた方が良いです。でもミャンマー料理があるから、高田馬場でも降りてみることをお勧めします。

 

 高田馬場にはミャンマー料理屋さんがたくさんあって、もともとミャンマー難民がこの辺りに集まって住み始めたからなのですが、いまでも新しい店ができては、それなりに繁盛しているようです。最近興味を持ったので何軒か行ってみたが、とてもおいしい。完全にハマったので、今すぐにでも食べにいきたくてうずうずしています。

 

 私のおすすめはここです。

tabelog.com

 美味しいお店は山ほどありますが、ここは比較的空いているのにおいしく、お店の人も愛想よく、少し駅からは歩くけれど、やたら行列しているステーキ丼屋さんを尻目にスタコラと歩いていって食べるミャンマー料理がこれほんとに美味しい!無料サラダバーがあるので、健康的な食事にしたい人にも良いと思います。昼は安いですが、昼に行くとメニューがランチメニューに限られていて、色んなものを頼めないので、色々試したい方は、夜に行かれるといいですよ。

 

 ミャンマーにも納豆があるみたい。そのことを話していたら友人からこの本を勧められた。いまAmazonでポチってしまった。

納豆の起源 (NHKブックス No.1223)

納豆の起源 (NHKブックス No.1223)

 

 このようにポチっていると、何かとお金が出て行き、念願である中国・鉄道の旅がどんどん遠のいていくので、ほんと何かと図書館に頼ろうとしているのだが、何かと資料として役立ちそうな本は手元に置きたいし、つい買ってしまう。最近は書店で働いているので、見ているうちについてほしくなり、買ってしまうことがある。あと旅先の書店等で買い物するときも危険で、つい色々買ってしまう。旅先で本を買う場合は、その地の書店のブックカバーがかわいかったりするので、ついつい色んな書店に入ってしまう。「私は本を買いにわざわざ18切符を使ってここまで来たのだろうか?」と雪道で重い荷物を抱え、ニット帽を直しつつ苦笑いすることもたびたびなのだ。

 

 

 復学したらどうしたらいいのかと悩んでいる。横書きの本は読めないし、お金はあんまりない。奨学金が出るか分からない。

 こないだ脳の血流を調べたら脳の血流が悪いところが見つかった。この部分は聴覚からの情報のインプットに問題を来す部分で、このせいで講義を聴くときに意識を過集中してしまうらしい。(ここからは自分の予想だが、)そのせいで疲労することで、短期記憶が弱いという私の元来の弱さが顕著になり、悪化し、「だんだん横書きの本が読めなくなってきた」という症状になったのではないかと思う。

 

 担当医が講義を録音することを許可してもらえるよう、診断書を書いてくれるそうなので、そうすれば講義を一回で聞き取ってノートに書き付けたりしなくてもいいようになる。復習するのに時間はかかるが、録音されることを嫌う教授が多い法学部で、録音をさせてもらい、なんとか勉強を続けていけるのではないかという希望を持てた。

 

 ただなんだか私の脳みそがかなりロー・スペックっぽいとわかったので、すこしだけ悲しんでいる。しかしここは、「人より努力して、なんとかしてやるのだ!」と奮起するべきだろう。もっとも、できないことはできないと割り切って、体力の消費を抑えることを考えたい。

 

 何事も前向きに考えることにして、変なところで落ち込んで体力を消費しないようにしよう。毎日決めたことを無理なくこなすようにして、手を広げすぎないように(この手を広げすぎないようにするのが一番難しい)。大事なのは毎日着実にやることだと自分に言い聞かせた。

 

 あとできないことは避けると言っても、どうしてもやめたくないことは絶対死ぬまで諦めないで、すごくゆっくりでもいいので絶対やる。 

 

 

 

通称:積ん読房での週末 

 今日は友人宅へ行って、書斎と呼ぶにはあまりにも生活感あふれる部屋に居座っていた。雑誌等が大量に保管されている。香港の「九龍城」とか、「尾崎秀実」とか、中国の「農暦」について知った。あと「客家円楼」についての本を借りた。

客家円楼 (旅行人ウルトラガイド)

客家円楼 (旅行人ウルトラガイド)

 

  客家円楼に旅人も宿泊できる場所がある旨書かれている。ぜひいつか宿泊してみたいものだ。宿泊する際の注意事項として、「他の円楼を褒めてはいけない」ということが書いてあった。住民は自分たちの円楼が立派だということを誇りにしているので、他の円楼を褒めると気分を害するらしい。円楼にもいろいろな形体があるということを詳しい図で示して説明してある。楽しい楽しい。

 

 

 

 

九龍城探訪 魔窟で暮らす人々 - City of Darkness

九龍城探訪 魔窟で暮らす人々 - City of Darkness

 

  九龍城は日本で言えば軍艦島みたいな感じかと思うが、もう存在しないと言われると実地で見たいと思う身としては少し哀しい。でもこういった建築とかスラム街のようなものには興味があるのでこれからも話を聞きたいし、調べたい。

 

 

 

疑問

 どういう時にひとは「これは私の考えることではない」という気持ち、判断になるのだろう。その時点で自分に無関心になることを許してしまう。問題は放置され、わるいものはわるいままにされる。

 

 日常生活や体力など、いわゆる「キャパ」をオーバーしたら、そんな風に切り捨てることになるのだろうか。考えるには時間がない、とか、今日は仕事で疲れたので考えたくない、というような日常の制約が、精神的「キャパ」に関わってこないようにすれば、ひとは永遠に無限に考え続けることができ、何事も他人事とせず、真剣に考えることができるようになるのではないか。それにはどうすればいいのか。

 

 

 

 《これ見た》

varadoga.blog136.fc2.com

 《これ読みたい》

 

嘔吐 新訳

嘔吐 新訳

 

 

実存主義とは何か

実存主義とは何か

 

 

主体性とは何か?

主体性とは何か?

 

 

 

ラジオと手紙 安価な交信

 自宅近くの古本屋に入ると、ラジオが流れていた。本を選びながら途中まで聞いて、面白かったので家に帰って続きを聞いた。「大学に行ったほうがいいの?」という問題について街の人の意見を聞いたりして考える番組(シンクロのシティ 堀内貴之 MIO - TOKYO FM 80.0MHz -)。最初から聞けばよかった。

 私が大学を選んだときは、ただひたすらランキング上位の大学に進むべきだという周囲の雰囲気に押されて、何がなんだか分からず、情報も足りないまま「選択」したなあと思い出した。ランキングって、一体何のランキングだったのか。

 

 それはともかく、久しぶりにラジオを聞いて、ラジオも面白いと思った。安価だし、色んな話を聞ける。子どもにプレゼントしたいものの一つだ。

 ラジオと言えば私の祖母はよくラジオを聞きながら料理をしていた。祖母に手紙を書こう。我が親族である老人たちにとって、あまりにも無神経に過ぎ去った数年間に心を痛める。祖父が亡くなり、子どもたちが出て行った家で、もう祖母はご飯を作らないらしい。寂しいと言われても、私は何もできないでいる。

 

 手紙を書くのがやっぱり良いだろう。手紙は安価だし、心を込めて書くことで、感情を共有することができるかも。私は字が汚いが、今日からペン習字の本で練習をする。手紙を書くことも、子どもにおぼえてほしいことの一つだ。封書であっても82円で全国津々浦々まで届けてもらえる。

 

 言葉を使った気遣いは、積み重ねていくことで、かけがえのない贈り物になると思う。私もそんなことを心にとどめて、日々ほんわか修行につとめたい。 

 本日は、なんだか様々な手続で忙殺された。しばらく音楽を聴かなかったのでラジオの音が頭にびんびんくる。

 

 

 

 

《前に買ってよかったもの》

 

 ポータブル・ラジオ。軽いし、終電のがしたときに心の友になる。18切符の旅で心細いときにも聞く。

SONY FM/AMハンディーポータブルラジオ ICF-9

SONY FM/AMハンディーポータブルラジオ ICF-9

 

 

《今日買った本・借りた本》

 

文章読本 (中公文庫)

文章読本 (中公文庫)

 

 

バーデン・バーデンの夏 (新潮クレスト・ブックス)

バーデン・バーデンの夏 (新潮クレスト・ブックス)

 

 

芭蕉入門 (講談社学術文庫)

芭蕉入門 (講談社学術文庫)

 

 

 

 

スピーチはあいさつだったんだな

 私はまだ20代前半なので、人の前でスピーチをすることはほとんどない。中学高校時代は、「作文発表会」があったけれど、あれはその場にふさわしい言葉を考えて発言するわけではないので、「スピーチ」とはまた違うだろう。

 

 大人であれば、結婚式や葬式、送別会やねぎらう会など、人が集まる場であればいくらでもスピーチをする機会(危機?)はある。スピーチが上手い人を発見すると思わず尊敬してしまう。スピーチがへたくそな人を見ても軽蔑することはないが、もちろん「長いなあ」とか「つまんないなあ」とか「場が冷めるぜ」などと思ってしまう。そして自分がへたくそなスピーチをしてしまうと、「ああ帰りたい」「恥ずかしい」「鬱である」とめげてしまう。スピーチというのは重大問題である。

 

 だいたいゼミの教授に関して「話が面白くない」とか「変なとこで泣き出す」とか文句を言っているけれど、私だって話が下手なんじゃないか。スピーチが上手くなりたいなあ。もっとも教授の話と突然泣き出すことの意味分からなさは色々事情があるにしろ棚上げできないレベルですけど。

 

 スピーチのことはすっかり忘れているときに、この本を偶然にTSUTAYAの中古本コーナーで見つけて、特に考えることもなく購入して読み始めた。

 

あいさつは一仕事 (朝日文庫)

あいさつは一仕事 (朝日文庫)

 

 

 丸谷才一による、様々な場での「あいさつ」を集めた本だが、この「あいさつ」は私にとっては「スピーチ」というべきものであった。冠婚葬祭の場や、ねぎらう会、開店三十周年のお祝い会で「ちょっとしゃべってくださいよ」と言われてするような、「スピーチ」集。

 でもまあ言われてみれば、「スピーチ」って「あいさつ」だったんだなあ、と思った。だから作文発表会とは違って、場にふさわしいことを話すのだな。スピーチは「発表」でも「発言」でもなく、「あいさつ」だったのだ。なんだ「あいさつ」だったのか。

 

 この本は軽い読み物としてもよい。自分が「あいさつ」をする時に参照するのもよい。この本の最初は「若い二人のために」。結婚式のあいさつである。この中には葬式や七回忌や、大きな賞の授賞式辞なんかもふくまれている。著者は有名人だから、よく知らない人のためにも呼ばれて挨拶する。それでもテキトーに考えているわけではないと伝わってくる。どのあいさつも、「こんなスピーチを自分が開いた会でしてもらったら、自分も、ほかの参列者も、とても嬉しいだろう。会が温かく動き出すだろう。」と感じさせる。よくある固く乾燥した「スピーチ」じゃない。スピーチをお願いして著者が喋ったら、思いがけなく「洒落たあいさつをしてもらった」と驚くかもしれない。

 

 こういう本を読むと、言葉の力を感じる。趣味の良い人とふれあうことの喜びを感じる。高いものを買ってくるんじゃなくて、会場が温まるあいさつ(スピーチ)をしてくれる人を友達にしたい。そんな友達が多ければ、それを聞くためだけに何回も結婚式をしたいくらいだ。別に大した用がなくても、へんてこな会を開いて、しょっちゅう彼らを呼び出したいものだ。そしてしょっちゅう彼らにあいさつさせる。「よいワインを買った会」、「一月の終わり会」とか「豚の脳みそを食す会」などなど。稼いだお金はそういうことに使うのがほんとによいやりかたなのかもしれないなあ。そう思うと、はたらくことも悪くないと思わないこともない。願わくば、一緒にはたらく人がすてきな「あいさつ」のできるような人であったらなあ...。

 

 ある言語学者の先生のお別れ会のことを思い出した。学者の多いあのお別れ会は、どのあいさつもすばらしかった。でもあの会でのスピーチは、あいさつというよりは物語という感じだったな。

 

 

 

文章読本 (中公文庫)

文章読本 (中公文庫)

 

  同じ著者のこの本も気になる。