いのちばっかりさ

生きている記録。生業。放送大学。本を読む。入道雲100年分。

疑問

 どういう時にひとは「これは私の考えることではない」という気持ち、判断になるのだろう。その時点で自分に無関心になることを許してしまう。問題は放置され、わるいものはわるいままにされる。

 

 日常生活や体力など、いわゆる「キャパ」をオーバーしたら、そんな風に切り捨てることになるのだろうか。考えるには時間がない、とか、今日は仕事で疲れたので考えたくない、というような日常の制約が、精神的「キャパ」に関わってこないようにすれば、ひとは永遠に無限に考え続けることができ、何事も他人事とせず、真剣に考えることができるようになるのではないか。それにはどうすればいいのか。

 

 

 

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