いのちばっかりさ

生きている記録。生業。通信制大学。天平の甍、生の短さについて、狼煙

養育里親について考えること

施設で育ったら家庭で育つよりよくない待遇だという考え方が、養育里親という制度を存続させていると思うのだが、果たしてそうなんだろうかという違和感があって、その制度を利用しようかどうかと考えている自分も、果たしてどうなんだろうかという考えを捨てきれないでいるというか、とっても反感を持っている。違いを認めようという考えと違いを消してあげたらよいという考え方は同居できない。違いは消したからといって生きられるわけではない、よくなるわけではないという私が、違いを消してあげようという制度に申し込もうとしているのはおかしいのではないか。

 

嫌いなエピソードとして、施設で育った子を預かったら、自販機で飲み物を買うことを知らなくて、飲み物を買うのをすごい感動していたんですよー、やはり施設で育つと普通の子がわかることがわからないんですねー。みたいな話を書いている人がいて、自販機で飲み物を買うことを知らないからなんなのよと思ったのだった。自販機で飲み物を買うことを知ってたらなんなのよと。山奥で育ってる人とか普通にそんなものだろうと。

 

ずっと自分を見ている人が施設では存在しなくて担当者が入れ替わり時間で立ち替わり交代するから、施設で育った子は自分の親がずっと家にいるかを見に来たりするんですよ、涙ぐましいわね!みたいな話も、だからなんですか?とか思ってしまう。親がいるから幸せというわけじゃないし、家族がいるから幸せじゃない。

 

子供が家の前に落ちてたから育てましたみたいなのは、いい話じゃんと思う。そういう感じになってみたい。

 

あー雪が見たいなと思っている。一面の雪。風呂場で短歌集でも読むか。初めて買った短歌集。

 

結晶質

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