いのちばっかりさ

生きている記録。生業。放送大学。本を読む。入道雲100年分。

人が死ぬことになれてきている自分がいる

自分にとってのラスボスはもう死んでいるので、他の人が死んだり生まれたりすることがフラットに感ぜられる。一度でいいからテレビで見るような家でやる葬式に出たいものだ。立派なお屋敷に住んでお寿司をたくさん頼んでいい座布団を敷いて、やあやあ今日はというように。