いのちばっかりさ

生きている記録。生業。放送大学。本を読む。入道雲100年分。

これは後悔であるということに気づく

正直今まで、「もっと前に資格とかとっておけばよかったのに」とか、「昨日皿洗っておけばよかったのに」とか思うことがあったけど、それを後悔とは思っていなかった。

 

でもこれを後悔なんだと最近わかった。後悔を見過ごさず、「前にやらなかったけどやる必要があるから今やる」という判断ができないとダメだと思う。

 

後悔をきちんと役立てられないなら自信がない人間になってモラルハラスメントとかしてしまうかもしれないというのは会社の人を見ているとよくわかる。会社というのは良くも悪くも自分があったことのないような年齢や性格の人ばかりだから、散々だけど就職はしてよかったと思う。自分の出来に厳しく、自分を鍛えて、自分でちゃんとお金を稼いで自分の家族を作って、自分の家族を守る手段を複数持つ人になりたい。そして自分を犠牲にせずに、家族を幸せにできる手段をたくさん持ちたい。

 

自信がないのに自信を持てるように努力しない人はとても害悪であると思う。人に攻撃するから。今いる場所からまんじりともせずにいるから。そのような人のせいでどれだけの人が若い時間を無駄にすることか。

 

そして私たち若者は、そのような人のせいで若い時間をわずかでも無駄にしてしまったことをきちんと後悔して、ちゃんとブログを書いたり、ちゃんと学んだり、ちゃんと話をして新しい時代を作っていくべきなのである。多分私はいつまでも自分を若者だと思っていられるような気がする。何才まで生きるかがわからないのだから、中年というのもわからないじゃないか。160才まで生きるのならまだまだ20年くらいは若者じゃないか。そんな風に生きていって、ある日ふっと死にたい。