いのちばっかりさ

生きている記録。生業。放送大学。本を読む。入道雲100年分。

特急を使う

旦那の実家にたまにはかえったほうが楽しいし旦那も友達に会えて良いので、旦那の実家に帰った。かなり久しぶりだ。旦那の実家はちゃんと親戚がいるから、いつもなにか起きている。その問題について真剣に考えて解決しようとするけど、相手としてはいつも何か起きているから取り合わない。

すべての問題は時が解決する的な感じなのかもしれないけど、他方では誰もまとまったお金を投下できないから、お金で解決できない場合には体力と説得を持って望まなければならず、そこまで首を突っ込む話でもないと言う説もある。

子供だったときはこういうときに事態を動かしてくれる人がなんでいないんだろう、なんで働いてるのに親戚のおじさんとかがお金を出して助けてくれないんだろうとか思ったこともあったが、大人になったら自分の糊口をしのぐ以外の収入なんてそうそう得られるものではない。私も例外に漏れず、親戚の子供にお金バーンとあげて、行きたいなら声優の養成学校に行って良い、みたいに言えるくらいのことは逆立ちしてもない。でも東京に上京するなら、相談してくれるば色々協力できるから相談してほしいということは言える。

 

子供の時私にお年玉をくれたりした人は自分の老後のためにつみたてることもできたお金を私に渡してくれたのだと思うと、最近とても尊いと思う。私はそのお金をつみたてて国債を買っておいて大学の受験の時の費用に当てたからとてもよかった。

 

地方に帰ると自分は嫁とか言われており、そのことには非常に微妙な気持ちで、私達は新戸籍を作ったのであって、旦那の家の戸籍に入ったのではないと言う話をしようとするのだが、なんか面倒でやめてしまう。

 

嫁扱いされていることは問題だが、「継続家族」として考えるとこの家族の方が私が持っていた従来の家族より遥かに安定しており、また親族の中で一人も暮らしていけない人を出さないで今まで支え合ってきて、子孫も繁栄していることを考えると、この仕組みと認識には一定の合理性があるのかもしれない。

 

旦那の実家に行くときに特急に乗ったことは私は多分一度もなくて、今回初めて使用したのだが、これはかなりするべき課金という気がする。早く帰れるし、疲れない。

 

気づかないうちに消耗していることがよくあるので、ボディーバッテリーとかいう機能ついた時計を買って測定したい。そして疲れる前に寝るなどしたい。

 

新宿駅でバスに乗り換えようとしたら人が本当に多くて、コロナは風邪みたいな運動をしているノーマスクの人たちと会ってしまい、本当に地獄の様相。東京ではもう健康を守れないしだめだと思った。新宿を見てはいけなかった。

 

次は新宿から改札を出ずに特急に乗って、特急で実家の最寄りまで行き、帰りは特急に乗って、新宿で改札を出ずに引き返してそこからバスで自宅最寄りまで帰る。