いのちばっかりさ

生きている記録。生業。放送大学。本を読む。入道雲100年分。

すっぴんで面接に行った

 すっぴんで面接に行った。なんだかどうなんだろう?この方が自然に振舞えている気がする。

 

 

 なんにしろ、つかれたなあ。言葉を話していない瞬間、面接官の目が無表情になるのって怖いと思った。面接終わった後ってどうやって帰ったらいいのかわからなかった。火事が起きていた。

 

 

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東京タワーが霞んでいて、ずいぶん今日は雲が低いんだなと思ったが、そんなことあり得ないだろうと思っていたら消防車が走って行った。

 

Patagoniaの服が好きだ。とは行っても私が買うのはいつも売れ残ってアウトレットにでているやつだから、それをPatagoniaと言うのはちょっとブランドの本流を褒めていないのかもしれないが。

 

とにかく、私はシンプルで頑丈で、カットのおしゃれなものが好きだ。Patagoniaはその要望を叶えてくれる。少しお高いが(とはいえ私が買うのはセールで半額以下になったものであるから、こう言うべきではないのかもしれない)これなら長く使えそうだと安心する。

 

化粧をしないと安心する。それは塗らなくてもしっかり成立している自分自身を感じ、確信することができるからだ。化粧を落とした状態で、シンプルで丈夫な福を着る。足が地面までスッと伸びる。迎合しないで辺境に立っていると言う感じがする。飾ることにお金をかけるのは虚しいと感じる。化粧もヘアメイクも、すぐに取れてなくなってしまう。

 

無印良品が流行った理由を考えていると、皆飾ることには嫌気がさした時にプライベートシーンのお供としてああ言うものを好んだんじゃないかと思えてくる。集団の中にいれば思惑が飛び交い、その表情が本物なのかもわからない。私はそんな中で、化粧もせずに、正直一本で生きて生きたい。そんなふうに考えたら、化粧しないでできるだけ正直に話せる場所を探すのは理想だ。化粧をしないのは常識はずれと言うけれど、そんな常識の中でも、同じように時は流れて人は死んでいく。大事な今日という日を消耗し、人に窮屈な常識を押し付けて。なんか他人に常識を押し付ける人はこの過ぎていく時間の大切さを理解していないと感じる。もし時間の大切さは命の大切さとイコールだということをわかっていれば、人に窮屈な常識の中を生きさせたりしない。そうじゃないのかな。