いのちばっかりさ

生きている記録。生業。放送大学。本を読む。入道雲100年分。

形式ばっかりや

 家族とか大学とかは形式の塊だ。家族だからーーーする、とか、大学だからーーーするもんであるとか、一種の儀式みたいなもんや。

 

  家族だからとか大学だからとか言うけど、その実態はなんなんや。結局無気力と無内容と他力本願やないか!という愚痴。

 

  私は家族だから存在するのではない。質実剛健に実質ある人間として一人立ちしたいのや。

 

 今日大学で、名誉博士学位授与式があったんで、そこで刑法の講義の出席がとられるということで、私も出席したのや。誰も式に興味を持ってない、空虚な困惑した時間だった。なんでなの。授与される方も困惑するわ。

 

 その式典で配られた冊子の最後にね、大学が讃えようとするもの讃えよ!みたいなことが書いてあるねん。大学ってなんなんや。讃えるものってしらんわ。

 

 僕には命しかないんや。命ばっかり。だからちゃんと生きていなきゃならんのだ。なんのために、いったいこんなふわふわしてるんや。