いのちばっかりさ

生きている記録。生業。放送大学。本を読む。入道雲100年分。

「汗は流れない」という名前の創作

 ある日は町にある自然派食材を使うことで有名な定食屋で、母と待ち合わせた。よくある高級な人たちが集まる場所ではないので、食事に髪の毛が入っているとか、一言言わなければすませられないと息巻いている客もいた。全体に緑色の色調を帯びているその店は、椅子だけがヒノキのような薄く割ったような肌色で、なんとなくそのせいで人が床から浮き上がっているかのように見えている。

 

 その場所で初めて食事をしたが、味は良くも悪くもない。よくいう体に良さそうな食事、緑色で統一された食器が、その空間で過ごした私たちを何かしたような気持ちにさせるのではないか。雲を食べているようでもある。

 

 その店で食事を済ませてから、店を出たが、トイレに行っている間に母に払ってもらってしまった。暖かな期限が設けられているというかのように、私はそれを自然に思って、職場の昼休みが終わりつつあることにあたふたしながら、母に別れを告げた。母は反対側へ歩いていき、おそらくそれから左に折れた。

 

 私は職場へ歩みを進め、なぜ今日に限って自転車で来なかったのかと思いながら、不慣れな道を曲がり間違ったりしながら職場にたどり着いた。時すでに、休憩時間が終わって五分を経過している。私は平然とお腹が痛かったから、トイレに入っていたと嘘をついた。見たこともないあまり親しくもない上司の部類の属する人がやってきて、私に注文をつける口調でいうことには、「体調が悪かったのなら仕方ないが、そうでない時には時間を守って」。だから体調が悪かったと言っていると思ったので無視する調子で「はい」と答えた。

 

 職場は薄い灰色の光が反射しており、一部の蛍光灯だけが黄熱灯であるので、冬の時期は黄色いところと白いところが現れ奇妙な感じになる。今は夏なので、太陽の光の方が眩しく、また明るいうちに帰宅するので、そこまで光を奇妙に思うこともない。

 

 また違うある日に、あの定食屋のある通りで古本市が開かれた。古本の入った箱やら金属製の本棚やらを並べた列の間を踏んで歩いていると、人がかなりいる。向こう側からかき分けるようにして目を開いたまま移動するおばさんが近づいてきた。いささかおかしいようである。今にも勢いづいて話しかけてきそうな様子である。面倒だと思いつつも、目を合わせた。

 

 「この本は30万円の価値がある」というのがおばさんのいうことである。周囲から人だかりができた後、その本は手の中に残された。料理本のようであった。その本は日本語で書かれており、よくわからない。しかしその本の料理の写真はどれも、日本で撮ったようには見えないこちらの国の趣味だった。何かを失ったような気分だったのでそのボロい本を売っていくらでも金を得られるならと思い、その場でそこにあった店の主人と相談し、この本を出品させてもらうことにした。同時にオークションにも出品し、そのことをブログに書いた。ブログについたコメントの数々は、この本は売れないだろうということと、わずかながら入札させていただくというものもあった。

 

 知らない女性に本を触られ、なぜか逆上されたものの、本を持って帰宅した。一週間後にその女性はアパートまで押しかけ、もう一度私に逆上した上、大家さんにもわけもなく酷い言葉をかけたのち、何処かの国に帰宅した。

 

 長い一年が過ぎた。

 

 その間にその本は私によって読まれ、オークションの落札者に引き渡された。

 

 母が死に、大家さんも死んだ。長くぬるい音楽のように、気候はゆるゆると変わり、様々な記憶が思い出せない場所にしまわれていく音が聞かれるようになった。

 

 その料理本を読もうとすると、なぜか美しい筋肉の男が二人でセックスしている様子に包み込まれるのだが、その二人の男は日常、麹の入った風呂で入浴している。決して汗を流さないその二人の男は、海辺の町に住んでお互いを見失わないようにしているようであった。

 

 一年が過ぎて、私はその間にその本を手放したが、逆上していた知らない女性は再び私のアパートを訪れた。その女性は大家さんに謝りたいと言ったが、私は大家さんはもう死んだと答えた。