いのちばっかりさ

生きている記録。生業。放送大学。本を読む。入道雲100年分。

次の一年のために② 意識を一本にまとめる

 地震が起こった。震源東京湾。カラスが鳴き交わし、わたしは一瞬そのカラスたちが海からやってきたと錯覚した。
 
ある微笑 (新潮文庫)

ある微笑 (新潮文庫)

 

 

  この小説を読み始めた。
  100円で買ったのだし、ほとんど拾ったようなものだ。なぜ歴史ある小説が100円で売られているのか。色々理由があるだろうが、このお得は喜んで享受する。
 
 この小説は、ソルボンヌ大学の法科の女学生が妻のある男性に恋をして、自らの散漫な欲望に痛めつけられる話。
  3分の1くらいしか読んでいないが、きっと全部読んだ後には感想も引用も書く気が無くなっていると思うので、いまのうちに書いておく。そういう風に感じる小説もたまにあるということだ。
 
  (全部読んでないが)この小説は、恋愛とか性的なことを抜きにして語り得る内容を、わざと恋愛の話に仕立てているような気がする。本題がそこ(恋愛)じゃないから、彼女のような恋愛をしない読み手も戸惑わず解る。
 主人公の女子大学生は、つまらないし、普通の女子大生だと感じた。別に聡明とも思わないし、別に決定的に何か欠如してるわけでもない。
 
  この小説は、全部読んでないと言ったけど、いつになっても最後までは読めないのかもしれない。あまりに散漫な気分に満たされているし、散漫なところがあまりにも私の気分に似通っているから。読み進めるのに辟易する。似ているものは時には耐え難い苦痛をもたらす。
  きっとこの小説の本題はこの女子大生の「散漫さ」であって、それに恋愛が関係していることで、かろうじて一般に読まれる小説の体になっているのではないだろうか。ただの「散漫さ」の小説はきっと読めたものではないだろう。ただし散漫さに悩む私には、この小説に満ちあふれている散漫さがいやにつきまとい、嫌になってしまう。
 
二十歳の原点 (新潮文庫)

二十歳の原点 (新潮文庫)

 

 

  この本は自殺した女子大生の日記をまとめたもの。これは私にとって、サガンの『ある微笑』より、もっと気分が悪くて、もっと読めなかった。少ししか読まないですぐやめた。日記の舞台が私が住んでいるのと同じ日本で、彼女は日本の大学生で、私も含めて日本の大学生にありがちな馬鹿さ(散漫さ)を見せつけてくるからだろうか。学生運動の話が全体に散りばめられていて、あえて本質を避けようとしているからだろうか。まあ、そもそも大学生の散漫な気分の本質についてなんて、出版しても買わないかもしれない。自分の不甲斐なさについて的確に分析されるなんて気分最悪だ。もちろん本当はそれを望んでいるのかもしれない。
 
 
  大学生のでてくる小説の中で、耐え難いのは散漫で、生活力のない学生の有様だ。私も含めて、仕事を選ぶ前の、「いわゆるモラトリアム」の時期に、将来何の仕事をするか以外のことを考えようとしすぎる。思うに散漫な気持ちはそのようにして生まれる。すべてを敵と考えたり、すべては関係ないと思ったり、散漫すぎるために疲れ、役に立たない。思うに、何らかの本に自分と同じ散漫な状態にある人物を見出すことなんて必要ない。共感することも必要ない。私は解決法を求めて読書するのに、共感どまりではどうしようもないのだ。
  私が本に期待することは、「自分の考えよりも一歩進んでいること」「自分が気づいていないことに気づいていること」「まとめられないものをまとめていること」などなど。
 
 
 新年は、その目標に大して価値を見出せないにしても、何らかの将来の仕事につながる目標を持ち、意識を集中させるようにしたい。散漫な気持ちは慰められることがない。自分を飢えさせ、疲れさせてしまう。散漫は気持ちや欲望は散財に結びつくし、散財してご飯が減ると気力も衰えてしまう。
 

 " わたしは人々にこう尋ねたいのだった。「あなたは恋していらっしゃいますか?なにをお読みですか?」けれどわたしは人々の職業については無関心だった。"---サガン『ある微笑』