いのちばっかりさ

生きている記録。生業。通信制大学。天平の甍、生の短さについて、狼煙

はてなスターを外しました。その他小さな変更点。

 いまは記事の一番下に表示されるものが以下のようになりました。はてなスターを外し、tumblerとLINEでシェアできるなんか、をプラスしました。

 

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 はてなスターをいただくと、嬉しくなりました。前々から読んでくれている人が今も変わらず読んでくれていることも知ることができます。あと私は感じているのですが、はてなスターはつける側も結構楽しい。私ははてなスターをつけるときは三つつけるのが趣味です。

 

 そこではてなスターを外してみようと思いました。気分実験です。ものぐさだからしばらくはこのままで行きます。

 tumblerをつけたのは、「なんかtumblerっておしゃれな感じだな。自分が使ったことのないサービスでシェアされたら少し面白いのではないか。」という考えです。LINEをプラスしたのは、「まあLINEで私のブログをシェアする人はいないだろう。されることがあるならどんな記事だか見て見たい。」という気持ちからです。今までほぼテンプレの設定を変えないでブログ書いてきたので設定を変えて見たら「ちょっとブログのこと気にかけすぎなんじゃないか」とめんどくさい気持ちになりました。このブログを読んでくださっている方もめんどくさい気持ちになったと思います。すみません。

 

 あと最近はてなブログの画面に、私が最終選考で落ちた企業の商品広告が表示されるようになり心が痛むのですが、ブログはお金がかからないのが良いところと思っているのではてなブログに課金することはなかろう。 

 

寝すぎた

昨日電車トラブルに巻き込まれて地下鉄では息がつまり九段下で降りて靖国へ行った。実験の被験者バイトに行くはずだったのに、電車が動かずいけなかった。収入ガァ。交通費ガァ。

靖国にはこんな看板があった。

 

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 こんなに大きな看板だから来年あたり150周年なのかと思ったら再来年じゃないか。めちゃ気が早い気がした。

 

 入って行くと早くも靖国のラーメン屋は閉店するところだった。

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神保町まであるき、小諸そばで盛りそばを食す。二枚盛りにした。320円。高いのか安いのか微妙。

カリカリ梅とゆず七味唐辛子が食べ放題の小諸そば。暖かい蕎麦湯もある。さいこうー

 

何かしなくてはいけない気がして起きていて、寝るのが遅くなった。寝るときもう朝だった。

 

今日は夕方5時くらいに起きた。あー(言葉にならない)

 

素六っていう日本茶が美味しすぎた(ありがとう)

 部屋が暑すぎ、汗が滝のように流れているとかそういう次元でもなく蒸れている。きっつー。

 沼津茶の「素六」の茶葉をだんながお土産にくれた。なんか最近いただきもので贅沢しているなと思いながら、感謝して生活する。スーパーで安く売ってる緑茶ばかり飲んだ後、緑茶あんまり美味しくないという結論に勝手に達してそれから緑茶を買っていなかったのだけれど、そんな中で飲んだこの水出し用の沼津茶は、めちゃ美味しい。水出しにするとトロンとした感じでまろやかだし、色も綺麗。

 

商品詳細 - 水出し素六&キャリー・ティー・ボトルセット|静岡県のJA 特産品紹介&ショッピング

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 なぜかこの箱の蓋に書いてある「FRAGRANT」が何度読んでも「FRAGMENT」に読めてしまい、二日間に渡って「SPECIAL GREEN TEA "SOROKU" MADE IN NUMAZU / IN THE HISTORY THE FUTURE IS FRAGRANT」という短いフレーズについて、「これはどういう意味だろう」と考えていた。まじ英語も識字ちょっと問題あるのかなとか思ったが、まあデザインや色合いの影響もあるんだろう。

 てかもしかして、「FRAGRANT」という単語ちゃんとわかってなかったからピンとこなかったのかもしれない。単語力の不足かと思い、反省。中に入ってるパンフレットに日本語訳も書いてあるのに。「歴史の中に未来が香る」って。反省したので受験生の時使っていた英和辞書を探してきて机の上に置いておきました。机の上に置いとかないと見ないけど、机の上に置いておくとかさばって作業場所がなんとなく取りにくくなる。それが辞書ってやつですね。

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 この茶葉の入った袋もジッパーがついていて、保管に便利。細かな気遣いが好きです。

 

 私も何かお土産あげたいなと思うのですが、なんせしょっちゅう18切符でどっかいくので、お金を使わないぞって姿勢でいるのと、どこか変なとこへ行ってる自分になれてしまって、お土産を買う習慣がない。かと行って土産話が得意なわけでもなく、写真を見せるにしても善光寺のあるところに行って善光寺の700メートル前まで行っても善光寺参りする気が起きずに引き返してくるような放浪をしているんだからなんとも、お土産くらい買ってくるべきなんだろうけど。けど。けど。けど。俺はこういう人間だ。ゆるせ。

 

 沼津はラブライブ!なるアニメ?の聖地らしくて、去年行った時より聖地然としており、若い人が随分きていたとのこと。沼津といっても、混んでいないで美味しいものがあるスポットもきっとあるんだろうな。そんな情報があれば出かけて行きたい。人混みはどうもバカンスって感じがない。でも地方にとって聖地になるってことは結構影響力のある事態なのかなと考えた。それにしても「神」とか「聖地」とか、なんでかそこまで振り切れた表現になるんだなあ。

 興味が湧いたので聖地巡礼に関する観光学っぽい分野の論文pdfをネット上でいくつか読んだ。

 

 話は変わるが、渋谷の福祉を考える会にまた参加してきた。共生というテーマだけど、結局金銭的にも時間的にも心理的にも余裕のある子女しか集まってはいないので、「人助け」って視点になっていくんだな感。でもなんでもスタートできる人は強い。という感想を持った。共生って一体なんなんだろうと、今一度考えたく思った。

 

 起業家の人も来て話をしていた。何かを成し遂げようとする段階で、チーム内のメンバーにパッションとか動機の強弱の差があるのは、どんな時でも起こることだとかいう話。その時に方向性が違う人がいればさよならすればいい話で、重なり合う部分は協力すればいい。学校のグループワークとか就活のグループディスカッションみたいに、みんながはぐれないように、同じように関与するようにばかり気にしていたらすすまないってこととか話している人がいた。まず近いところから始めてみること、トライアンドエラーの大事さ、などなど。

 

 非常に勉強になるとは思いつつも、若い人には自分にやるべきこともあるし、「それを実現してどうやって私の儲けになるの?」って質問してもいいのかな、ってなんとなく居づらく思ったよ。社会事業とかやってる人も来ていて、なんか世の中のためにー感ありすぎるというのは思う。まずは自分のことをちゃんとしなきゃ、単位を取らなきゃ、バイトの面接また行かなくちゃ、免許とらないと、って、そういう気分の中でまずは一歩踏み出してトライアンドエラーしようっていうのは、なかなか難しく、でもそういうことができる人はすごいんだと思う。色々おっぱじめて行くのは簡単だが、キャパオーバーして、もしくは気分が破滅して寝ることしか考えられない状況になったらみんなに迷惑になるじゃないすかとか考える。

 

 できる人と私の違いはなんなのか、私はそうなりたいのだろうかということを考えている。

 

 やりたいことがあるならそのことについていつも話しているのはいいことかなと思った。あとみんなそれなりに忙しいとか事情があるってこと。その中でどうやって求心力のある物や人を作れるかということ、広く言えばどう物事を演出するか、どう醸すかということも考えている。考えることが多すぎて、まずそういうことを考えられる人と私の違いはなんなのか考えたくなるくらいだ。キリがない。そして私の場合、正直自分のことだけで精一杯だわって感じではある。ツーかどんなメンタルしてんだし。三ヶ月くらい一緒に暮らしてその暮らしぶりを習いたいですわ。

 

 疲れているのかスマフォを最近落としまくっていて、スマフォが心配で気が気じゃない。あと硬いものを持っている時に卓上時計にぶつかったら卓上の時計に傷がついた。最近気づいたことだが、私は時計に並々ならぬ熱い想いを寄せており、それがないとどのくらい時間が経ったのかちっともわからないので、つまり体内時計というものが全くないので、時計を本当に大事にしている。よって時計の表面が傷ついてとても悲しい。時計があってもたまにミスをする。振動する時計を持った方がいいのかもしれない。

 

 チープなのを色々手にとって見たけど、中ではこの腕時計が一番見やすい。私も使っている。デザインとか金属部分の光り方はこの商品の写真で見るよりさらにチープであり、仕事で使うにはバンドを変えた方がいいかもしれない。でもそこもまた私の好みで、バンドがテカテカしてたり、金属部がちょっと光りすぎている方が視界に入りやすくてよく時計を見るようになるから、遅刻とかしにくくなるのでよいのだ。

 

 ちょっと前にチープなカシオ(チプカシ)が流行っていたが、これはシチズンなので、「チプシチ」と呼ぶことにしよう。あとなんかチプカシは最近中国人が買っているからか、高くなっている。中国人は関係なくてカシオの方針の転換なのかもしれないけれども、前は1,000円で買えたのに。今は1,600円くらい出さないと買えない。 それに比べてこの私の愛用のチプシチは1,023円で購入できるのでおすすめ。

 

 今日の日記ながいな

 

 

 

カザフスタンのチョコレートもらった

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カザフスタンのチョコレートをお土産にもらった。チョコレートの味はヨーロッパのミルクチョコレートという感じだった。この写真を見て、なんというか、チョコレートの包装紙がかっこいいというのもあるけど、さすがに20年くらい使うと机は拭いても綺麗にならないくらい汚くなってくるなあということを思った。

もし機会があれば、かんなの技術を習得して一回全部削ってしまい、綺麗にヤスリをかけて、その上にニスなどを塗るなり塗らないなりしてなんとかしたいものだ。かんなの漢字は鉋ということを今知った。なんだかんだ机が汚くなって、または子供がシール貼りまくったりして困ってる人は多いはずなので、鉋を買って一回削るの800円とかもらって削り出張すると楽しいかもしれない。それにはちゃんと技術がなきゃダメなのだが。そしてその技術をどこで習得するのか。あと木の話題で思い出したが、曲げわっぱほしいな。ご飯が蒸れないというのは本当かなと画期的だなと思った。

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テアトル石和の前を通った。名画座である。花火大会の時は駐車場を貸し出すなどの工夫をしており、シネマで婚活的な?シネコンもやったり、古い建物ながら色々と営業工夫をしている。すごい。

この変な立地で名画座が生き残っていることに感動した。

話には聞いていたけど、こんなに小さな建物とは思っていなかったので、なんだかすごいところだと思った。小さいのにすごいというのは変ですね。ふふふ。 

 

このテアトルの看板は「テアトル石和」となってるのだが、「テアトル」の部分しかネオンが点灯していなくて、それは賢いと思った。「石和」は点灯しなくてもみんなわかってるもんね。

 

 

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キッチンの皿洗いスポンジはいままで五個セットで100円とかの弱っちいやつを使ってたのだが、すぐには立ってしまうのはかえって非経済的であろうかと思い二個で170円くらいの弾力の強いものにしてみた。どうだろう。

 

バイトの面接の結果まだ連絡こない。

 

また花火大会

 

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花火大会へ行った。花火大会によって協賛企業の数や資本力に違いがある。ほかにも花火を打ち上げる頻度やアナウンス、音楽の入れ方など、色々と違いがある。屋台の屋根の色なども、花火が映えるか否かに影響する。

家で待っている人のために焼き鳥やたこ焼きを買った。また節約しよう。

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これは中国のLINEみたいなサービスwechatの募金ページの画面スクショ。寄付の方法は他にもあるが、寄付の一方式として、一万歩以上歩いた日には、歩数に基づきわずかなお金を寄付できる。他にたくさん寄付した人の名前などが見られる。寄付額第3位は中国のトヨタだった。なるほどトヨタやるねぇ。

 

放浪先につきパソコンないので短い更新になりました。

あと寄付の件だけど、誰がその歩数に基づく寄付のお金を出しているのかよ?ほんとに寄付されてんのけ?とだんなが言っていた。どうなんだろ。

 

ムーンライト

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ムーンライト信州に今年も乗って

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長野でそばを食べました。

長野駅めちゃ綺麗になってしまって、と思ったけど、前きたの10年くらい前じゃない。なぜか善光寺には行く気が起こらず今年もいかなかった。牛が来るまで待とう。(いかない)

 

温泉でも入ろうかと思ったが、脱ぐのなどがめんどいのでやめた。

 

このような意図しない節約旅行でも帰宅したら楽しかったなと思うのでそこが変なところ。

 

タヌキ似(ゆたさんと会う)

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 昨晩から何かと社交的な要素を喪失していた私は、朝起きて見て早くもこの暑さに糸を引き始めた労研饅頭を見てこれは食べなければなるまいと思って全部自分で食べたのち、この饅頭は祖父がものを元気に食べられるうちにあげようと思っていたものなのだが、祖父が明日にもものを食べられなくなる可能性もあるなどと考えることがまず不謹慎なので、そんなことを考えるべきでなく、そのうち都合の良い時に労研饅頭をまとめて取り寄せて渡せばいいのだと適当な自己弁護をなした。こういうことを後で後悔するものである。

 

 その後上の写真の大栗川を渡ってバーミヤンに向かった。タヌキ似のゆたさん(id:SHADE)に会うためである。ついにこの日が実現するとは。緊張。

 

 ちなみにこの写真の大栗川は耳をすませばに出てくるみたい。なんども見たはずなのに耳をすませばの記憶がほとんどない。右側に写っている茶色っぽい建物の向こうにバーミヤンがある。

 

 大栗川の現在の様子と2016年度の水位が上昇しているときの様子。

www.ktr.mlit.go.jp

 

tamapon.com

 

 

 今日もついつい嬉しいのか恥ずかしいのかのあまり、またメインのこと(お会いした感想)を書く前に大栗川の水位の上昇などに関するリンクなどはって余計なことを書いてしまった。

 

 写真を貼ろう!(どうしていいかわからぬ)

 

 ゆたさんとドラゴンフルーツバニラアイス添えとマンゴースムージー。マンゴースムージーはドリンクであろうか、デザートであろうか。

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  写真掲載の許可をいただいたので、ここに。

 バーミヤンではこのようなデザートを食することができる。ゆたさんはカメラを向けるとこのように平面化しカトゥーン調になるのか。お話ししているときはそんなに平面的でもなかったと思うのだが。

  

 いただいたガラスのコップについてお礼を言えた。あとこのだめブログを前々から読んでくださっている方なので恥ずかしかった。初対面の人には会う前が一番緊張する。色々とゆたさんのことについて教えてもらったが、家に帰る途中であれは私のことも話すべき場面であったのだろうと思い至り、自分のことを話すとしたら何を話すのか考えたけど何も出てこなかった。会話で自分のことあんま話さないし、話したにしても以前のことあんま話したことないな、と気づいた。

 

 面白いお話を伺い、また面白い活動等についてもいいなあと思った。面白そうなので読書メーターのアカウントを作った。ポテフをゆたさんにもお分けすることができた。私にポテトフライをくださった方、ありがとうございます。

 

 ゆたさんにだんなのことを話したのだが、そのあと家に帰ってだんな電話しているとまさかの付き合って初めての喧嘩をしたので、まるで面白いことのぎっしり詰まったドタバタ漫画かなと思ったのだが、その喧嘩の内容が私がだんなの誕生日を忘れていたと言うもので、しかも再三ヒントを出しても思い出さなかったと言うものなので、大変申し訳ないとともに、なんか冬だった気がしたんだもん、と言い訳しようとしたのだが、そんなのなんの言い訳にもなっていないのでやめておこうと思ったのだが、やっぱり言ってしまい、けど最後はもう私に数字を覚えることは期待しないと言うだんなの諦めによって許された。情けない。

 

 

  夕方から会うはずだった友人は結局、急に腹痛に襲われたので帰宅しブスコパンと言う薬を飲んだら治ったようだしよかった。よく効く薬だそうです。

 

 フィルムカメラで撮った写真のフィルムをデータ化したいのだが、どこが安いのかなあ。

  

【第2類医薬品】ブスコパンA錠 20錠 ※セルフメディケーション税制対象商品
 

  

 ゆたさんまたお会いしたいです。

 

 ゆたさんのブログはこちらです。ブログ名がかっこいい。

shade.hatenablog.com

  

 

 

労研饅頭

松山へ出かける友人に頼んで労研饅頭を買ってきてもらった。

祖父にあげたいのである。いや実のところ私が食べて見たかっただけなのだが、もらってみるとそもそもは祖父が鳥取にいた時に食べてたとか話したから食べて見たくなったんだったと思いだし、というか思い直し、これは祖父に食べさせねばなるまいと思った次第。

もちろん待ちきれないので勝手に紙を剥がして食べ始めたし一個食べてしまった。こりゃ不孝ものである。

しかも気づかないで一番元祖っぽいのを食べてしまったので、祖父が残ったやつを食べてコレジャナイってなるのは十分予想できるのである。この暑さだしなんだかねえ。でも冷蔵庫に入れると硬くなるしなあ。あの人電子レンジ多分持ってないからふかし直せないしなあ。

 

労研饅頭についてはもうすでにネット上にたくさん書かれているから省くとして、どうも岡山とか鳥取とかその辺で食べられていた労研饅頭と今回買ってきてもらった松山の名物とは少し違いがあるようだ。でももう岡山の方は店がなくなってしまって、似て非なるものを作っているようだし、似たものは探し当てられるにしろ、今のところこれを渡すよりほかないのである。

鳥取駅の近くに土井製菓というお店があって、そこに売っているのとか、祖父が言っているものに近い気がするのだが、どうだろう。鳥取県とか行くと戻ってくるのが大変なんだよなあ。でもそんなことできるのも最後なんだよなあ。とか思いつつ、どうせ買ってきたら労研饅頭なんかたいして思い入れがあるわけじゃないんだよこれ、とかいうんだよなあ。じゃあなんに思い入れがあるんだっつーの。私もあまり思い入れない方だからわかるんですけれども。

 

松山の労研饅頭は通販もできるからいいね!

home.e-catv.ne.jp

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とはいえ眠すぎるし孝行しようとすると挫折しかしないので今からまた挫折する。

大勢でのバーベキュー行かなくていいのではと思ってしまう「友達っていうのは?」

 そういう問題がある。本日友人たちが集まってバーベキューをした。どのくらいの友人かというと、マブダチってほどではなくて、ちょっと数週間苦難を共にしたから、もっかいバーベキューすることでマブダチになろうぜ、みたいなそんな仲。ちなみに私は眠いとかそういうよくわからない理由で行かなかった。

 

 こういった集まりに対して、わたしはいつも中途半端な態度を取って来た。バーベキューの時間には間に合わないけど、行くと思う、と言っといて行かないとか、顔だけ出すかも、と言っといて行かないとか。

 

 バーベキューの時間には間に合わないと前以て言っておくのは、肉代を請求されないようにするためである。顔だけ出すかも、というのは、その集まりに何時間も時間をぶっ込むのは無駄である、時間が惜しい、と思っているから、そう言ってるのである。その段階ではちゃんと顔出すつもりなのだが、しかしそう言っといてから、バーベキューをみんなが焼いてる写真とか、ピースしてる写真とか、抱きついてる写真とか見ると本当に行きたくなくなって行かない。行けないわけではないと思う。靴を履いてとりあえず家を出ればいい。けどそういうバーベキューの集まりにはバーベキューらしい格好があるらしく、私にはそれをわきまえられなくて、場を冷やしてしまうし、もし靴をつっかけて急いで行ったらますますそういうことが顕著になるだろうし、わきまえられなくて御免なさいみたいな態度は扱いづらいから、というかうまくできないから、これが私のスタイルですみたいな堂々とした態度を取ってもまた場にとって腫れ物みたいになってしまうし、と思って「とにかく行こう」みたいにすることも困難だし、そもそもそんなにしてまでそこに行っても誰も嬉しくないではないか、という話だ。

 

 人類はいつどうして、集団で集まってご飯を食べるという習慣を開始したのだろうか。わたしは一度たりとも三人以上の集まりで食事をすることに快さを感じたことがない。アイスクリームは複数人で食べるのも可。

 

 思うのだが、世の中の人は知り合っている程度ではダメなのだろうか。なぜなんのタイミングでマブダチってほどになりたくなるのか、私には皆目見当がつかない。その必要が生じ時間と金銭が許す場合に初めて急接近してマブダチってほどになることは許されないのか。それか純粋に会話だけしてマブダチになることはできないの?純粋に山手線一周のって話をするだけで友達になることはできないの?

 

 そもそも我々に深く知り合う必要なんかあるのか。どんなに深く知り合おうと、相手な利になることをすれば受け入れられ、利にならない事ばっかりすれば最終的に縁は切れる。その基本原則がある限り、我々はお互いを知り合っていると言えるし、みんなで肉を焼くこともいらないと思う。いやまあそんなことは私が後付けした理由で、単に光過敏とか音過敏とかの理由でうまくやれないのかもしれない。でもさー大人数で屋上で肉を焼いて、それで仲良くなるのん?

 

 あんまり考えたくないけど、基本的に、わたしがいなくて超幸せそうな感じになっているところとか、すごくうまく行ってるところに私が行くと、迷惑しかかけない気がする。幸せにすいすい行ってる集団には、どこか変な糸のように規則や習慣が張り巡らされていて、他人をヤイヤイ言ったりして、お酒飲まないとみたいになっていたり、私は参加するなり、「だるくね?」と思ってしまうし、内心かなり不機嫌になってしまう。そしてそれが帰りたいという気持ちにつながり、「かえる?帰らないでカラオケでも行く?」みたいなノリのときに「かえるね!」みたいな態度を一人だけ率先して取ってしまう。実際それで救われて「私もかえる」とかいう人もたいてい何人かいるのだが、場の空気は少し萎える。それもだるいなと思ってしまう。つーか体質だからかもだけど、もうふつうに体疲れたし。「私たちこうやってるからこうやったほうがいいと思うの」てきなアプローチに対しては、「だからなんなの?私はちがうの」みたいなのをふつうに態度で示してしまう。意図的とかひねくれてるとかじゃなくて、疲れたときは寝て良い、そんな都合の良い戦場でしか役に立たないタイプなのだ。それがよくわかる。

 

 基本的に大勢の集まりとなると、いつも出て行ったことを後悔する。

 

 ちなみに私は、そういうわずかな迷惑をかけ続けている自分自身を別に否定する気になっていない。行かないときは行かないって言いなさい。本当にそうだよねって、思うだけです。いやもうなんか、本当にそれ楽しいの?そう思っているわけです。私全然さみしくないし、楽しそうでもないし、電車乗るのお金かかるし。

 

 人ってなんで本当にみんなでご飯食べるんだろうね。その原始的な理由はなんだろう。食べてる時に襲われたら困るからか、食べてる時もし腐ってるのが入ってたらということに備えて偉い人が食べる前に下っ端に食べさせて見てたのか(家長が一番先に食べる規則って、もし毒が入ってたら家長が一番先に死ぬよね)、みんなで食べると気遣いのできない人が露見するからだろうか、それとも同じ釜の飯を食ったものどうし連帯感を強めて、誰かが裏切ったとき村八分にするためであろうか。食べてはいけないものを食べていないか互いに監視し合っていたとか?本当にいつどこで人間は一緒に食事するようになったの?一気に用意した方が便利だったからそういう風になったのかなあ。縄文時代の人とか、集団で食べてたと思う?

 

 考えて見たら、人間っていろんな食べ方があって面白い。一人で食べることもあれば、二人で食べたり、5人で食べたり40人くらい同じ食堂で食べたり。食事付きコンサートなんてのも。立ち食い座り食い・・・観戦しながら食べるとか。すごいなと思います。みんなで食べるのを共食っていうんだなって、今日知りました。

 

 

 

食卓と家族―家族団らんの歴史的変遷

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平成の家族と食 (犀の教室)

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カフェインの真実-賢く利用するために知っておくべきこと

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 下の2冊欲しい

発酵の技法 ―世界の発酵食品と発酵文化の探求 (Make:Japan Books)

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Cooking for Geeks 第2版 ―料理の科学と実践レシピ (Make: Japan Books)

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  アマゾンで「脇毛」の本を検索しても全然面白そうなものがなくて脇毛は無視されていると感じた。

 読んだもの→岡本綺堂 鰻に呪われた男

 脇毛が出てくるもの。でも脇毛はあんま関係ない。→服部之総 せいばい

 脇毛が出てくる→蘭郁二郎 ※[#「氓のへん/(虫+虫)」、第3水準1-91-58]の囁き ――肺病の唄――

 もっと愉快なのがあるべきだと思う。脇毛についてそんなに何も言わないなどということはおかしいのではないか。

 

 あー、三島由紀夫。バーベキュー行きたくなければ別に行かなくていいんですよ、という話じゃん。はぁ

寝てしまった

頭痛くて寝てしまった

一遍上人の本たくさん借りた

近頃頭ではいくまいと思っているところに体は歩いて出かけて行っていることが多い。「今日は休館日だから図書館には行かない」と思ってしかし一応図書館に行っている、という風に。変なの。