いのちばっかりさ

生きている記録。生業。放送大学。本を読む。入道雲100年分。

今日はインターンやすんで面接

 大企業というのはつくづくすごいと思う毎日である。

 

 すごいというのは良い意味でも悪い意味でも。

 

 廊下ですれ違う人のほとんどが知らない人だ。二週間この会社でインターンしているのに未だにこんな状況だ。ビルが光り輝いている。細い人も太い人もいる。美しい食堂。テラスにある休憩所。自然採光を取り入れたビルの吹き抜けの美しい造形。みなが同じ社員証のストラップ。ロゴ入りのグッズを売っている売店。

 

もうこれはわたしが求めてるものとは違うと思った。こんなに知らない人ばかりで、廊下で挨拶したらおどろかれるような会社だなんて。

 

この企業が作ってるものは確かに素晴らしいし時代に先駆けている。ここの社員は一定以上に優秀で、この会社は見たところ潰れることもない。生活に不足を感じないのには十分すぎる給与、快適な仕事の空間、全てが素晴らしい。この企業が作っているものは大企業だけを相手にしているわけではない。安いのもあって、いろんな中小企業に導入できる。そこがわたしにとっての魅力だ。

 

しかしこのビルの中に閉じ込められることがあれば、わたしはそれだけでここでは働けない。無理である。このビルは立っていると足の下に何階分ものフロアがあり、上にも何階分ものフロアがある。海が遠くに見え、神経が麻痺し、お歳暮は売店で注文でき、マッサージも社内で受けられる。

 

みなさんには理解し難いかもしれないが、わたしはこんな広い企業では働けない。わたしは集団に対する信頼という感情がほぼ全くない。だからどこかで働くのなら、信じられる人を見出してその人たちを思いながら仕事する。その取扱い製品を作っている人を知っていなきゃだめだし、一緒の部署の上司の性格、同期の性格を知って話をできる関係でなければだめだし、廊下で会ったら話をしたいし、休憩所でお茶を飲んでいる時には会話をしたい。

 

この美しく気高い会社がこの国を大きく動かしていることはよくわかる。わたしはビルの中で燃え尽きたくないと思う。人間同士で働いているのなら、人間らしさを満喫したい。

 

昨日のアンケート答えてくださりありがとうございました。嬉しかったです。