いのちばっかりさ

生きている記録。生業。放送大学。本を読む。入道雲100年分。

身にしみて苦しい一節 『塩一トンの読書』

 これは私の好きな本。

塩一トンの読書 (河出文庫)

塩一トンの読書 (河出文庫)

 

 

 この本は古典と呼ばれる種類の本をするすると紹介している。著者の生涯にぴったりと本が寄り添っている様がよくわかる。

 

 それはともかく、この本の中に身にしみて苦しい一節がある。

(前略)わかいころの私たちは、あらゆることにおいて、自分の選択が、人生の曲り目を決定していくと信じていた。プラトンを読んだり、小説を書こうとしているジュゼッペにもそんな時代はあったはずだ。しかし、人間はある年齢になると、自分の選択について、他人にも、自分にたいしてさえも、説明することをしなくなる。説明するにはあまりにも不合理なところで人生が進んでいくことを、いやというほど知らされているからである。(後略)

   ——須賀敦子『塩一トンの読書』のイタリアの小説に関する部分よりーー

 

 この一節を身にしみて苦しいと思った今日のことをあとから懐かしく思うだろうか。そう思うとなんだかいやだ。

 

モンテ・フェルモの丘の家

モンテ・フェルモの丘の家

 

 

 『塩一トンの読書』を読んで、『 Amarcord 』という作品をAmazonで探していたら、なぜかあんなものやこんなものまで検索結果として出てきて面白い思いをした。

 たとえばこんなもの。「愛のスピード違反」って...。