いのちばっかりさ

生きている記録。生業。通信制大学。天平の甍、生の短さについて、狼煙

正直何をしてるんだろう

正直何をしてるんだろう。わからなくなった。金をかけて遊びたくなんかないし、金をかけるなら電車に乗って旦那に会いに行きたい。仕事にやりがいとか、どうせ女扱いされるなら、もうどうでもいいから会えるところに行きたい。女だけが持ってるものを私は持ってないし使えないのに、戸籍だけ女だから女扱いされる。近くにいるのが大切だと思った。

早く来てデスクを拭いてお茶汲みをしてください

 なんて昭和な会社なんだ。

 正直ありえないと思う。戯文さんは毎朝早く来てみなさんのデスクを拭いてお茶汲みをしてくださいと言われた。今時男女雇用機会均等法とかあるから言いにくいんだけど、とか言いながら言い切った。あれは給与発生しないやつだろう。てか男女雇用機会均等法とか言う問題ではない。

 

 どー考えても嫌だわ。ほんとに嫌になる。同期に話したら、絶対やらないでと言われた。やったら私たちもやらなきゃいけなくなると言うわけだ。月曜日だけならやろうかとも思ったけど、それを聞いてすっとぼけておこうと思うことにした。アホくさ。

 

 なんで女だからってお茶なんか入れてやらなきゃならない。自分でやれと思った。ほんと、こんな人が一番上にいるからどんどんダメになる。水サワレナイ体質なの?と思った。素直に言うと、聞いた瞬間はぽかーんってなったけど、本当にキレそうだった。私の一時間はあんたの一時間とは違う。バカにしてんの?

 

 すでに勤務時間外のラジオ体操にも参加している。それに飽き足らずなんなの?絶対嫌だわ。無理です。私の心に足が取られて定時にしか出勤できませんよ全く。バカにするんじゃないよ。バカにするんじゃないよ!!!!悠久の時間を生きている君と違うんだ私は。今にも死ぬんだよ私は。そう言う気持ちで生きているんだよ。本当バカにしないでくださいよ。本当バカにしないでくださいますか?

 

 こんな企業が世界的な大手の企業と対等に渡り合えるはずがない。どんなトンチンカンだよ・・・。変な時代だ。

字が汚くていいじゃん

 字が汚いということなんだが、私は字が汚い。なのに会社ではやたらと手書きをさせられる。ちなみに字が汚いということは全く気にしていない。読めりゃいいし、読めるレベルだし、多分字が汚いのは発達障害由来だと思うし、パソコンで打てばいいんだ。手書きが下手な人に手書きを求め続けるっていうのは、手書きが下手な人に羞恥心をもたせて大人しくさせようとしているに過ぎないので、アッハーンと思っておけばいいんだと思っている。

 

 とはいえ字が汚くてすみませんくらいのことは言う。社会人だからー。でも思っていないことは顔に出てしまうのでなんか、うまくないね。

 

 この会社では、人にやらせると何十回に一回は必ずミスするような作業をそのままさせている。ミスが起きそうなところは事前に自動化するなどの措置を拒否する。くだらねー。たまにやろうとしてる人もいるけど、仕事が減っちゃったら困るという人がいて阻止している。というかその人はそれについて調べたり進めたりしないけど、進める権限があるのはその人なので、その人のところでその話が止まる。別にその人が悪いとかではなく、その人はそういう習慣の人なので、それを上司がちゃんとフォローアップしなきゃならんのだよまったく。家庭教師のバイトしてて思ったけど、習慣のある人にその習慣をやめさせようとしてやめろと言っても無理で、他の作業とか仕事をその習慣をしている時間にやるように命じないといけないのだと思う。そうすることで、その別の作業とか仕事をすることが新しい習慣になる。

 

 年功序列とか悪でしかないと最近思う。どんな頑張っても一定の年齢になるまで役職つけないやん。権限もないし。

ブロロロロ

私に言わせれば

バイクはブロロロロなんて音を立てない

フォークはカチャカチャなどと音を立てない

本はパラパラなどと音を立てない

接着されていない紙と紙が風でばらけるように

いつも離れてしまう

 

自分が傲慢とかそういう話ではなかろう

水はポタポタなどと落ちないし

光はギラギラなどと感じられないし

大げさな人たちだ

物事はもっと静かに割り開かれて行くように

音はその動作に寄り添っているのに

 

どうも人間とはうまくいけない

光の中でいつまでも起きている必要などない

草木に包まれた部屋に住みたい

金金先生

土土土木

浮世の楽しみっていったいなんなのだ

それを楽しもうという賑やかさに

接着されていない紙と紙が風でばらけるように

いつも離れてしまう

 

だから自分のことを語るとき

今は昔という枕詞を欠かさず

その姿を隠す

私も違う意味で大げさなやつなのだ

疲れて帰って来る人のために

まともなことくらい書けないものか

 

 

 

特許法の本を読んで、思い出したのは、みんなでラーメン食べて寄ったスーパーマーケッ そこで笑いながら目の端に映ってた例のカティーサーク。少し心がえぐられながらまた話題に戻ったが、思い出すことはそのウィスキー飲んでた父のグラスで、グラスしか思い出せないのは、なぜこんな風なんだろうか。ま、つまりですな、あれも商標ですね。疲れて帰って来る人のためというか、自分のために、しっかりしたブログくらいも、書けないからなぁ。

 

 

なんの資格取るかな

資格の難易度とか内容だけじゃなくて維持費用も気にした方がいいなと思う。中小企業診断士かなあ、司法書士かなぁ。テキストも結構高いから、決めたらよそ見はできない。早く自由時間に打ち込むことを決めたい。みんな頑張ってるし私も頑張ろう。

 

意地でも定時に帰って勉強するぞ。そして何を勉強するか早く決めたい。合格したら研修とか行かなきゃならないんだよねー。

これからの金字塔

このブログを書く時、サブタイトルにあるように、「金字塔」だなあ、と思って書いていたのだが、就職してからこのブログのサブタイトルが金字塔であることも忘れていた。それくらい日常を書いている。それでこその金字塔だよなあと思う。

 

琵琶湖に行きたい。ただし冬の。

 

旦那がバイト始めるそうだから私が緊張している。電話できる時間が少なくなるから寂しいが、私も頑張らねばならん、と呼吸している。はあ・・・せめて月一で会えるならいいんだがなあ。私がもっと稼げたらなあ。でも今はこれでよかったんだ。と思うことにする。

 

なんか自分がITできなさすぎて、不安がある。なんかできることができなくなってしまう気がする。ITのために。

 

指輪はいつか買えばいいんじゃないのと話したら、指輪とか絶対最初に買わないと、買わなくなるでしょと旦那が言っていて、確かにそうだと納得した。お金がもったいないとか主に私が言い出す。勢いが大切とはこのことか。

 

冷凍庫に入っている肉を食べて節約しているー。安いときに買っておいて冷凍しておくとこんな風に後々良い。なんだかんだ言って冷蔵庫をお友達にしている。掃除機もうるさいから嫌だけど、でも綺麗になる。気持ちいい。でも次の日になると埃が出てて、夜なのに掃除機かけたくなる。だから気持ちいいとか思ってしまうと、このもっとやりたい感じが始まってなんか大変ムズムズする。このままいくと帰ってきたらまず掃除機かけてシャワーに入ってお茶飲む人になりそう。それはそれでいい気がするけどなんかサイボーグじみている。韓国ドラマに出てきそうだ。

 

健康診断の時になんか社内の人の名簿みたいなのをお医者さんが見ていて、その名簿に社員の人が飲んでる薬とか簡単に書いて会った。私は上司の飲んでいる薬を見ようとしてないけど見た。それで最近痩せようとしてるのかと思った。長生きしたいんだこの人も、と思った。

 

作業着を洗濯しなきゃいけないんだが、なんとなく渋っている。そろそろ本当に洗濯しなければならない。全てがうまくいかなくても大丈夫だし、いま大事なものは一つだけだからちゃんと守れる。

 

関係ないんだけど、何かを教える立場になった時、何か聞かれたら「難しいんだよ色々」と言わずに一緒に理解できるよう探して説明するのが大切だと思った。

休日の過ごし方二種類

①思い切り外に出て人ともふれあい、遊ぶ

 ⇨後味:家のことができていないのですっきりしない。でも次の日は家のことをちゃんとやる傾向にある。遊んだ満足感はあるけど大して記憶には残らない。お金は減る。自分は人ほど楽しさを感じない人間なのではないかと思って心配してしまったりする。実際にはそんなことはなくてちょっとベクトルが変なだけ。相手と金銭感覚が合わないとノリが悪いと言われて気まずい。本読んでないなーと思ってしまう。でも何か休日らしいことをやった気がする。平日になって上司と休日の話になった時、どこどこに行ったんですよーと話せる。でもこの歳になると「レトロ」とか「くつろぎ」とか言われても大体の種類体験しちゃったので、旦那と一緒でもないとまあ普通程度の「うんまあ」状態になる。その時周囲との温度差を感じてしまい自分は「うんまあ」状態の人なんだと思ってちょっと心配する。旦那と一緒の時はめちゃ楽しいし空虚じゃない話ができる。こう書いていると自分がまたちょっと心配。

 今気づいたけど、空虚じゃない話をできる相手ってすごく限られている。空虚じゃないっていうのは楽しいってことではない。楽しくて笑えても空虚な話しかできないことが多い。

②家の中で過ごす

 ⇨後味:家が片付く。でも案外読書進まなかったなーと思ってしまう。あと暑くなってくると絶対家から一歩も出たくないと思ってしまうので、なんとなく不健康な過ごし方をしたなーと思う。時間が過ぎるのが早い。苦々しい顔をして掃除機をかける。食事がいちにち一食とかになる。無駄に家計簿とか神経質に精査する。お茶飲みまくり。お茶飲むの大好きなので日頃飲みまくりたいのだが、変なので我慢しているぶん、一人で好きに飲みまくっていると休日だー感がある。貧乏ゆすりするみたいにお茶飲みまくっている。お金を使わない。お金を使わないのは本当に最高だ。でも新しい本を借りに行くのまで面倒になっていてどうなのかと思う。今日も結局図書館行かなかった。でも割に自分がやるべきことをできたかなと思う。管理会計の本読めたし。朝のうちにやるべきことやっちゃうと午後のプレミア感がすごい。旦那と電話できる。旦那が友人と会っている時は、その話を聞いたり、写真送ってきたりするの見ていて楽しい。たまにくる連絡を覗きながら本読んでいる時のプレミア感がすごい。

 

結論:①と②の過ごし方の中では②が好きだが、②だけでは息がつまるからたまに①をしないとならない。でも①ばかりになるとめちゃ疲れるので、誘われすぎている場合には適度に辞退する。最近周囲の人から見て自分が一番楽しそうに見える時って何かなと考えて見たけど、旦那のこと話してる時と美味しいものもらった時だろうとすぐわかった。思考が単純化されてきてる気がする。これってキャラをくっきりさせようと思うあまり自ら単純化してるのだろうか。しばらく白っぽくなってるなと思って見ていた植木だが、小さい鉢の中でだんだん白っぽくなっているなとやっぱり変だと思い直して見たらうどんこ病なので、さっさと根元から切ってしまった。家庭菜園にうつっていなさそうだからよかった。ぞわぞわする。見た目的に。

なぜ会社で作っているプライベートブランドについて他人に話してはいけないのだろう

 ある会社の工場は、ほぼプライベートブランドに食われている。プライベートブランドというのは、コンビニとかスーパーとかに比較的安価なラインナップで並んでいるオリジナル商品的なやつである。あれらはコンビニとかスーパーが自分で作っているわけではなく、その業界の割と人気のある会社の工場に作らせて、というか作ってもらう契約をして、出来上がったものには製造元のロゴを入れなかったり、製造元を消費者には見てもわからないように表記して、自分のオリジナル商品のような体で売っているものである。

 

 ある会社の工場は、もはやラインがほとんどプライベートブランドの製造に占拠され、ナショナルブランド(その製造元のロゴをつけて売り出せる製造元の製品)を生産する暇も人材的余裕もない。しかもそのプライベートブランドでさえ、包装ラインがあまりにも脆弱であるがために、その前段階で出来上がったものが包装できず、袋詰め前の段階でたまりまくっている。たまりまくっているというだけで、リスクがつきまとう。たまりまくっていると言うのは、人の邪魔にならない場所に保管されていると言うことだ。人に邪魔にならない場所というのは人目につかないということで、人目につかないということは異物が混入される可能性もあるということだ。しかも工場では不満を持たない方がおかしい環境で人が労働させられており、改善される様子もない。この溜まりまくった在庫を包装するために土曜日も工場を回す。休日出勤は賃金がいい。働いていればみんな金さえもらえればいいと思い始める。そう思わなきゃ精神のキャパを振り切ってしまう。こんなに古い機械で回していては、袋が引っかかって破けたり印字がずれたりして、大量の包材ロスが出る。それを誰に言えばいいのか?誰にもいうことなどできない。いつか言えると思って心にしまっておくのか。無理だ。物申そうなどと思わない方が自分のためだ。

 

  こんな薄利の製品を、大手のプライベートブランドとして作ったら、もう薄利も薄利。いつまでも設備を刷新できない。オワコンである。このラインを止めたら大手にプライベートブランドを安定供給できない。契約を切られるかもしれない。契約を切られたら会社はどうする。じゃあ新しいナショナルブランド(製造元のロゴを入れられるオリジナル商品)はいつ作るのか。でもナショナルブランドを作る場所もないし人もいない。でもナショナルブランドで食えるようにならなければ奴隷だ。なぜ四方八方から奴隷にされているのか。調達に際しては商社の奴隷にされ、流通に関しては大手コンビニやスーパーの奴隷にされる。でも社員としては給料も低いしこれ以上頑張ることはないという風潮がある。じゃあ神を信じればいいのか。神のための献身として仕事に打ち込めばいい。それじゃあ搾取だ結局創業者一族に搾取されるだけだ。ならこのまま身を滅ぼしていくのか。そんなことはありえない。無理なんじゃないのか。そんな風潮がある。

 

 何でもかんでも慣れがくる。誰にも防げないことだ。

 例えば職場の便所の配管が壊れていて水がいつも和式便所を汚しているとしよう。汚い。でもそれを誰に言えばいいのか。自分で直してやる義理もない。汚いし、こんな汚い便所のある場所で働かされるなんて馬鹿げてるし馬鹿にされてると思う。けどだからと言って何年もの間、何ヶ月もの間、汚い便所だと思い続けて生きていくだろうか。それはない。そんなのは偏執とも言えるような状態だ。口に出していたら仲間からも頭おかしいと思われるだろう。便所が汚いのはみんなわかっている。なんで毎日それをいうのか、とみんなに思われる。だから人は慣れていく。便所は汚いが、便所はそういうものなのだと思ってくる。だからいつまでも改善されない。便所が汚いことを改善箱に投書するだろうか。変な奴だと思われたくないし、休憩時間は汚い便所のことなんか忘れたいから投書なんか書かない。便所のことなんか、忘れてしまう。だけど汚い便所で済まされている人たちの自己肯定感は明らかに毎日繰り返し踏みにじられている。それが精神というもので、慣れても踏みにじられることには変わりない。

 

 第一、どこそこのプライベートブランドや、どこそこの製品に含まれている一部のものを作っていることを、なぜ話してはならないのだろうか。自分の家族に対して、私はどこそこのカルボナーラソースに入っているベーコンを作っているとか、私はどこそこのプライベートブランドの納豆を作っているとか、そういうことをなぜ話してはならないと禁じられるのだろうか。一体なんの権利で、なんの義務でそれを黙らされているのか。別になんの法規もないのかもしれない。だけど黙らされる。それがお前、下請けというものなのだ。

 

 下請けはこんなキャパオーバーの状態だから、大手からは結局いつ破綻してもおかしくないと思われているんじゃないのか。そうやって破綻した時に、事件が起きた時に、プライベートブランドや自慢の商品、長らく売れ筋の製品まで顔を潰されたくない、そういう忖度の上に成り立っているこの不文律の黙殺。そう感じる。大手の調達部は一体何をしているんだ。なんでちゃんと監査してキャパオーバーにならない発注をしないのか。下請けの営業は何をしてるんだ。なんでこんなキャパオーバーになる注文を得意満面で受けてくるのか。それでも仕方ない。それが大手というもんで、それが下請けというもんだから。無理だとわかっているけどやるしかない。一体どの消費者が、そんな風にして作られた製品を食べたいだろうか。どうかしている。

 

 どうかしている。私は絶対この会社を大手の奴隷にはさせておかない。自分たちのロゴも載せられない製品を作るために会社があるわけない。ましてや製造には危険が伴うのだ。機械に巻き込まれて人が死ぬかもしれない。どうせ人の命や体を危険に晒すのに、それで作るべき製品が大手のプライベートブランドなのか?

 

 もっと本気でナショナルブランドを開発しなければならないのだ。開発しては開発し、ダメならすぐに廃盤にしてラインを圧迫しないようにしなくてはいけない。中国人のようなスピードでやるしかない。それから大手の流通に頼る現状をやめなくてはいけない。このままでは大手を通して流通させたいがために、せっかくナショナルブランドがヒットしても、流通を阻止されるのが怖すぎて、頼まれたら断れずにプライベートブランドとしてそれを作ってあげなければいけなくなる。これでは生殺しだ。奴隷だ。私なら資本をブッ込んで地元密着型の地方コンビニを買収する。海外のネット通販にはあまねく出品する。そうすれば小さくはあれども消費者動向をデータ蓄積していけるし、自分の製品を自分で打って、客の反応を自分で見ることもできる。その金をどうやって稼ぎ出すのか、それが仕事というゲームを楽しむ若者の仕事だ。給与とかいう問題ではない。働く人の尊厳の問題だ。給与めちゃ問題だけど。

 

 

 というか取締役とか、よくこんな何にも見にこないで無限責任を負えるな。頭おめでたいのか?酒飲んで笑っている場合なのか。

 と、どこかの製造元で働いている若者が思ったとか思わないとか。 

 

youtu.be

お疲れなんけどでも俺は

 朝から夜まで外に出て遊んでいた。お金を払ってオシャレな空間でコーヒーを飲んだら、自分がまともな扱い受けているという感じがした。こんなの病気だと思う。病的な感覚だ。たかがカフェを、こんな風に自分をドブから隔てる壁のように感じるのは今までになかったと思ったが、そういえば前にもあった。

 

 ここのところスーパーに行くのを楽しみにして、別に買うものがなくても買ったらすっきりするから買ったりしていたのは変だと思う。やめなくちゃ。資格の勉強をして前に進まなければと思っている。とにかく、怒ったりしないで体力を温存して、小さなことから少しずつ前に進めなくては。しかしこれが、仕事を任されなくても、体力温存できるだけ得なんだからサボっていようなどとまで考え始めるとかなり怠惰なので、周りが時間を気にしないで悠久の時に生きているかのように仕事をしていても、自分だけは時間を測って、自分で設定した期限内に仕事を完成させる習慣を守り抜きたい。

 

 この前プロパンの請求が来て、目玉出るかと思った。風呂に入りすぎるのはやめようと思った。週に一回か、二回にしたい。とりあえず、日曜日と木曜日に風呂に入ることにする。

 

 いつのまにか五月が終わる。これではいけないと思う。

 友人に相談したが、どうやら私の給料は、「前払い退職金」が、「各種手当」ではなく「基本給」に含まれているのだろうとのことだった。だから「基準内賃金」と「前払い退職金」を合わせたものが「基本給18万5千円」になるんだと。でも基本給の中に退職金が含まれているっておかしくないのか。「基準内賃金」が何のことか知らないけど、普通はそこんとこが18万5千円で、その他手当として前払い退職金がつくんじゃないの。よくわかんない。そうなの?なんか考えていたら疲れた。これは基本給18万5千円が支払われていると言うことなのか?来年からさらに住民税が天引きされると思うと恐ろしい。暮らしてはいけるが、旅行に行ったりはできない。暮らしてはいけるけど、結婚したら会社規定によって住宅手当が出なくなるので、実は暮らして行くにも困る可能性がある。今月の家計については後日書くのでそれを見て欲しい。特に地方の中小に、親族もいないのにやりたい仕事だけを追いかけて就職しようとしている学生さんにはよく見て参考にして欲しいものです。

 

 社内規定のために結婚を先延ばしにしたりするのは馬鹿らしいと思っている。けど、そういうつまりお金の問題で結婚を先延ばしにしたりするのが、実際には普通のことなんだと、思った。だからこそおかしいと思う。普通の人が普通に働いて、その働いている会社の決まりのせいで私生活の重大な決定を曲げるなんておかしい。クソかよと思った。このままでは数年の間、手取り15万円もない。そんなの嫌だと思った。家族を養ってはいけない。馬鹿にするなと思った。私はもっと仕事を任せてくれればもっと仕事をこなせるし、この部署の誰よりも会社に貢献できる人材になれる。この会社でもしダメなら、稼げないこんなところで安住するわけにはいかない。自分はこの世界のどこかで絶対稼げるようになってやる。

 

 正直稼げるって何なんだよとも思う。私はそもそもそんなに稼げることなんか目指してなかった。自分の親のように稼ぐのがいかに難しいことなのかと今になって思う。親とは受けて来た教育や待遇が違うと言うのはもちろんそうだが、もしかするとそれは私が目の前に気づかれない程度に落ちている小さな機会を全て拾って全力で向かっていれば埋められた差なのかもしれないと思う。素直に反省した。その時は辛かったりとか、もう無理とか、体力がないとか、頭が痛いとか、もう鬱とか、いろんな理由があって機会は見ないふりしたりとか、簡単な方を選んだりしていた。一緒に働いている同期を見ると、皆いい人でありながら、やっぱりどこかで変なこだわりとか、邪魔になってる臆病さとか、不完全な場所で諦める癖とかがあったんだと思う。そしてそれを見ていたら私もやっぱりそうなんだと思った。メンタル弱いって言うのはこう言うことなんだと思う。

 

 将来のためとか家族のためとか言う言葉を使ってはいたけど、結局自分は生ぬるかったんだよと思っている。だから今は、目の前にどんな機会があるのか、いつも見ていようと思う。見つけたらそれが大変そうなものでも、全力で取り組むようにする。今までこんなんだから自分は、自分の親みたいにも稼げないし、家族も養えないんだろう。自分が使う言葉はどんな風にも自分の自由になるんだから、自分が使う言葉で自分を擁護しても意味がない。

 

 温泉行って、旦那からもらったタオルを使ったら、旦那の実家の匂いがした。かなり会いたい。