いのちばっかりさ

生きている記録。生業。放送大学。本を読む。入道雲100年分。

彼氏の両親

 彼氏の親が喧嘩した、という話を彼氏から聞いていたところ、彼氏が父親に関して「死ねばいい」という強い表現を使ったので、珍しいなと思いつつも、聞き流して、そんなこと言うもんじゃない的なことを言っていたら怒らせてしまった。

 

 でも彼氏の親について、「そうだね死ねばいい」とか言う彼女がこの世でまともな部類に入るだろうか。時にはその方がまともなのだろう。しかしなぜ怒るのかわからん。

 

 あと私の親が喧嘩した状況に比べれば如何なものを投げていようと、罵詈雑言やってようと、まだまだ死ねばいいとか言うには早い気がする。ネット上や日記に書くのはまだしも、口で言うには。なんにしろ分かり合えないので微妙な気分だ。私は何か見逃したんだろう。聞くべきとかを聞いてなかったんだろうな。そういうことはよくやらかすので。ほんとうのところ私は金銭的なこと以外ちっとも役に立たないアルバイトをして苛ついていたのかもしれないし、後輩が大学院に行くのが羨ましかったのかもしれない。何でも話しすぎたのかもしれないし、よくわからないな。けど恋人が怒っている理由をさっさと説明しないことに苛つくというのは、これはADHDの特性であろうと予想できるので、そのことについて苛々するのはやめようと決めた。ワーキングメモリを占めるこの事実を忘れ去るのだ。ただし本当に忘れ去ったら後日それはそれで問題になりそう。

 

 

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山形に行った時にあった六浄とうふ。食べたことない高い。

 

ADHDでよかった (新潮新書)

ADHDでよかった (新潮新書)

 

 別に良かったとは思わないが。

 

 

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追伸:恋人の問題については依然としてよく分からないし忘れても居ないが、

 今日中華屋でチャーハンを食べていたところ、中華屋の水槽の金魚が転覆していた(浮き袋の調子が悪くて?ひっくり返ってしまっていた)。それをじっと見ていたのだが、じっとみてただ可哀想だなと思っていた。子どもの頃のことを思い出したのだが、子どもの頃、そういえば金魚を飼っていた。なぜか知らないがクリスマスにもらった金魚で、一時期は私の話し相手は金魚3匹しか居なかったので、とても大事にしていた。

 

 とても大事にしていたのに、と、私は回顧する。むかし私の金魚が転覆してもそのままにしていたよなー。あれってなぜ転覆するんだろう。浮き袋の調子が悪いからとどこかの本で読んだ記憶しかないけど、あれって死んだりするのかな、あれって治せるのかな?と急ににいろいろ疑問に思い始めた。そして子どもの当時はインターネットを自由に使えなかったとはいえ、そういったことについて本でもちゃんと調べたことがないということに妙な気がした。ふつうとても大事にしている魚がひっくり返っていたら、なんとかして治してあげようとするじゃないか。子どものくせに好奇心が萎えてたのか、ほんとは魚なんかどうでも良かったのか、気力がなかったのか......?

 

 あのひっくり返ってしまうのを転覆病というらしいのだが、転覆病なる病名(症状名?)も実は今日「金魚 ひっくり返る 理由」と調べてネットで見つけた。これくらいのことは知っていても良かったようなもんだ。

 

 もし子どもの当時金魚の転覆病について調べていれば、それなりに論文もあっただろうし、英語の論文も見つけられるし、もっと興味を通して知識や経験を得ることが出来ただろう。のほほんと調べているうちに金魚部というホームページを見つけた。ほんのちょっとしか見ていないけれど、このホームページの人はすごく詳しく金魚について調べたり試したりしている。すごいなあ。

kingyobu.wordpress.com

金魚の転覆に関する論文もある(英語)

http://agriknowledge.affrc.go.jp/RN/2010572791.pdf

ところで試験勉強もしなきゃだめなんである。英語の論文読みたい。