いのちばっかりさ

生きている記録。生業。通信制大学。天平の甍、生の短さについて、狼煙

チーチク

 北杜夫の『黄いろい船』という本を、宿で読んでいた。その中に『こども』という話が入っている。

 

 こどもの運動会へ朝食を食べずに腹をすかせたまま父親がやってきて、昼飯の時間ではないのに、弁当を食べ始めるシーンがある。ふつう運動会の弁当というのは昼ごはんタイムに家族揃って開けてたべるものである。

 

 私の家族もかつて一緒に運動会の弁当を食べることがあった。その時よく食べていたのが「チーチク」である。それはちくわを輪切りにしたものにチーズを詰め、天ぷらにしたもので、私の好物だったが、そんな時にしか食べなかった。

 

 シートを敷いて運動会の弁当をあちこちで各家族が広げ、太ももやら何やらにシートの下の石があたった。そんなことを思い出したらなんだか泣きたくなった。

18きっぷがたりない

 18きっぷがあと1回分足りない。困ったな。携帯に親から帰ってこいメールが激しいので家に帰って来た結果、18きっぷが一枚足りない。だいたい災いはこういうところからだ。

 

 弟はぶっ殺すぞとか馬鹿とかいう言葉を言いに家へ帰って来たのだろうか?これで大学生だとは......! まあいいけど、どうしようもないな。こんな嫌な気持ちになるなんて。母にしても明らかに弟に怯えて持て余している風なので、私も持て余す。私はなぜ帰って来たのか。昨日までの平穏な年明けはどこへ行ったのか。というわけで今日からまた京都へ行くことにした。気分はすでに最悪である。最悪も最悪、最悪しきり。しかし優しいので味噌汁と白飯を炊いてあげた。

 

 どうぶつの森でも永遠にプレーしていたい気持ちだ。18きっぷを金券ショップで探し出すことを切に願う。

元旦

 どんな人にも生きてきた年数があって、それが不遇なものであっても、その年数は確実にその人の一部を作っているか、もしくはその人のすべてに少しずつ影響している。

 

 他人や過去に対しては誰もが自分の見解を持っていて、結局のところ人が離れ離れになるかならないかは、人同士助け合うことができるか否か、これから助け合うことが予想できるかできないかによるのだ。その上その助け合いを自分も望み、相手も望んだ場合、初めてずっといっしょにいられるのだろう。と、私は思っている。

 

 年越しの時恋人の学生時代の先輩と、恋人の友人に会った。みんなずいぶん年上なんだなと思った。彼らは完全に大人だったし、自立していた。年を取っても大人になれる人となれない人がいるのだろうか。

 

 子供を育てることを思うと、子供というやつが夫婦をダメにするという気になる。私自身、もしも私という子供がいなければ両親は未だに愛し合っていたのではないかと思うから。かといって自分がいなければいいとか、今はもう思わないけれど。

 

 ところで私は多動な方だから、静かにじっとして物事を見つめ判断し、人の行為からその欠点を洗い出そうという視線を向けてくる人には、恐れを隠せない。何を考えてるか分からないから。私は生き方そのものを見失っていて正常には動けていないから、そんなに見ないで欲しいのだ。

 

 とりあえず元旦は、ちゃんと好きな人と過ごすことができ、一年頑張ろうって気分になっている。

 

ーーー追伸

 paizaでPythonのプログラミングも勉強している。本も買ったが、なんか開きにくいので、動画でやろうと決めた。手軽にできるのがいい。 

 

 

年末家出/ 二度目の夜

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 頭が痛かったので今日はメモを取らなかった。一日中移動しており、山形から甲府まで来た。山梨方面へ行くためにわざわざ一度新宿まで戻ったというのが、いかにも無駄で好ましい。途中移動好きすぎだろと自分に突っ込み続けた。

 

 今夜の宿はビジホだった建物を改装してドミトリーにしたやつ。2800円で泊まれる。

 

 雪でスニーカーが沁みそうだったので滅多に外へ出なかった。こういうところへ来る時は、Gore-Texの革靴なんかがあればいいのだが。あいにくそうもいかない。

 

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塩山あたりは真っ暗だ。向かいに座っていた荷物の多い腰パンの女性が降りた。こんな山の中へ呑み込まれて行くのはこわい。その人のいなくなった席をずっと見つめた。

年末家出/ はじめの一夜

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 自宅から祖母の家へ年末の挨拶に行き、とって返して山形へ。しかしお馴染みの遅延で山形にたどり着けるか不安である。そんな18きっぷ旅の車内で書いている。

 

 祖母に握ってもらった握り飯が美味しい。もし母親というものが握り飯を必要に応じて美味しく握り与えてくれるだけの存在であれば、私も自由というものにこんなに焦がれはしなかったであろう。つーか何故そのくらいにしといてくれないの?

 

 ちなみに祖母はまったくぜんぜん、握り飯を握り与えてくれるだけの人間ではない。猫かぶって優しくしているが、本心というか本体というか正体はひどい。

 

 山形には用があるわけではない。もちろん聞かれれば理由を答えたほうが説明が省けるので、友達がいるとか鳥海山が見たいとか、気になる企業がありまして、とか色々答えている。どれも冗談で、本当は移動したいというだけだ。移動している間、私と利害関係にある人間は誰も私を把握できない。たぶん。実はそんなところに本当に欲しい自由などないのだが、家にいるよりは彷徨っているほうがはるかに私の心にかなっている。だいたい正月に家にいようものなら、人口過密のせいで情緒不安定になり、今月末の試験の勉強など、今以上にできなくなる。

 

 電車に乗っていると、みな安っぽい素材の衣服を身につけているなと思う。私も安っぽい服を着ている。けど今はおっているパーカーは北京で買ったもので、これだけは安かったのに妙にしっかりしている。そのことが嬉しくある。

 

 いま福島を後にするところだが、福島駅では駅弁を売ってなくて、どうせ買わないけど見て見たいなと思ったので悲しかった。まあ夜9時だから仕方ないかもしれない。

 

 

 寂しさはまったくない。どうやら普通の人たちと親しい交流をもったことで、私は憎むべきものを肯定したいというヘンテコな欲求から解放され、完膚なきまでに打ちのめすことはしないまでも、絶縁しても構わないし、自分がかわいいんだから、自分の人生が大切なんだから、という考えを持つようになった。そのため旅の途中で家に帰りたくなることもないし、出かける前もなんの抵抗や面倒くささも感じない。あるべきところは放たれたように自由に泳いでいる。

 

夢について

 私の夢は、まともな家族を持つこと、医者になって親身に診察すること、中国に10年以上住むこと、お金を正しく使える人間になること、できるだけ貧乏しないこと、好きな人と一緒に長生きすること。好きな人を幸せにすること。

 

 最近手持ち無沙汰感が出ているが、それはやることがないということではなくて、やることはたくさんあるが、専門がないということ。専門がないということは、精神を集中させてその中で人間的に鍛錬することがないということで、よくない。

 

 しばらくは中国語と就活のための企業研究を専門にするかなあと思ったが、なんだか違う。かといって家族法なんか二度と関わりたくない。もしもっと真面目な人たちと家族法を勉強していたなら、こんなに嫌になることもなかったのかもしれない。前を向くしかない。

 

 昨日飲み会をしていたら、隣の宴会グループの面々が今年やり遂げたことと今年やり残したことを発表していた。

 

 

身体が冷える

 年齢が二十代前半になると、立ち止まって体調についてきちんと感覚で感じることが増えた。子供の時はどうせ体調が悪くても学校に行くのだし、と思って、だるいと思いながらも目下のことに気をとられるように努めて動き続けていた。

 

 しかし二十代後半、いうてみれば手持ち無沙汰である。読めなくても読まなければならないんだからと努めても読めないものが「よめ!」と目の前に積まれ、それに真剣に取り組むと疲れきることはわかりきっているので本気ではやらない。

 

 自分の体調の変化というものが余裕のある精神のせいでひしひしと感じられる。

フラミンゴと濾過摂食

  フラミンゴは角度のついた嘴で、藻を濾過摂食している。藻に含まれる赤い色素のために、体がピンク色になるものもある。

 

 来たから帰ろうとしたとき、山梨辺りで、先行列車が鹿にぶつかって止まった。先週もこんな風だったと話す人たち。今年は越冬の厳しい年だろうか。

 

 この列車の若者たちはまるで変なアニメから抜け出して来たよう。ジイドの狭き門や、三島由紀夫の潮騒を読んでいる青年たち。景気が良くなると名作と呼ばれる書を読む人も増えるのだろうか?

 

 そんな勝手な憶測ばかりが漏れている。

今日は後悔を書いてやる!!!うわーん

 もっと真面目に生きれば良かった。時間を無駄にしなければ良かった。人のことを羨んでいる暇があったら何か一つでもちゃんと継続して取り組んで、経験と人脈を広げれば良かった。親に止められてもアルバイトして自分で自由に使えるお金を稼げば良かった。親のことなんか、弟のことなんか気にしないで自分のやりたいことをすれば良かった。家がぐちゃぐちゃで親が殴り合っていた時もっと外部の人間に本気で助けを求めれば良かった。自分のやりたいことをもっと他人に話せば良かった。自分のためにお金と時間と精力を使えば良かった。家族を殺しても自分の夢を叶えようとすれば良かった(本当に殺すのは多分だめ)。殺されてもいいから好きなところへ出掛ければ良かった。もらえるお金はもらえば良かった。好きな人がもっとはやくできれば良かった。親に止められても部活にはいって身体を鍛えれば良かった。気力を失わなければ良かった。鬱っぽくならなければ良かった。みんなが飲み会をしている時弟にご飯を作るために家に帰ったりするべきじゃなかった。私がやりたい、挑戦したいと思ったことを全部やれば良かった。出来る限りやるべきだった。出来なくても他の人のことなんか気にしないでやれば良かった。家族じゃない人に協力してもらえるように努めれば良かった。これからは絶対そうする。

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