いのちばっかりさ

生きている記録。生業。通信制大学。天平の甍、生の短さについて、狼煙

不自由な性

  夜に異性と食事に行くのは、友人以上の関係に誘われてもいいと表しているようなもの、とか、注意しなさいとかいう母がいる。

 

  そうなのだろうか。どう考えてもちょっとおかしい。そもそも昼間は皆働いてるじゃないか。どうすればいいのだ。早朝に会えばいいのか。

 

  性的なことを遠ざけられ、それを禁忌としようとする母子家庭の典型的なやり方にはかなりひりひりする。そうやって自意識のおかしい人間になりそうだ。

 

  だいたい男友達しかいないのだから、どうすりゃいい?

 

  どうもしない。気にしないで、自分でなんとか感じて、考えて行くしかないのだ。女の子とばかり話していても、全然未来のことなんか見えてこなくて辛くなるもの。

母に対するこわさ

 わたしはいつも母に対する時、空っ風のようにちらちらとしか接することができない。

 

 母はいつも、わたしの中の隠された恐怖を復活させ、愚かな孤独者としてのわたしを再来させる。あまり深く関われば、たちまち彼女の恐怖さえも共有することを強いられて、死にたくなるのだ。

 

 しかしわたしは決して恐れはしない。そのために母とはあまり話せない。