いのちばっかりさ

生きている記録。生業。放送大学。本を読む。入道雲100年分。

さようなら東京

家のものを全て片付けてしまったという言い訳をして外食で気になっていた店を食べ歩いている。贅沢をしていてまるで心中するかのようだ。ランチ850円のお寿司を食べながら、旦那が隣でちらしを食べており、目の前では大きな魚の頭を苦心しながら2つに割ろうとしている大将がいて、ざむぶざむちゅという音が血の海の中でしている。心中するとここで歴史は終わるのだ、と思った。

 

湯気をきれいに撮影できるカメラがほしいな。

紅葉した大きないちょうの木の上に星が輝いている。起伏のある土地で、ここに越してきたときにはまるで山があるようだと喜んだ。

池袋に出て新しくできたニトリへ行き色々と見たがどうも高すぎるように思う。ヤマダ電機まで歩いて行って、立派なこたつとこたつ布団を買った。立派すぎるなと思うが、旦那が喜んでるし長く使えるからまあ良いか。もしちゃちなのを買ってすぐ壊れたり削れたりするとまた人が多いところに来なくてはならない。それは大変だし、出費としては一度より多くなる。

 

引越し先で必要なものを色々と買ったら5万円くらい使ったので、その他のものを含めると転勤手当と全体でトントンになってしまう。

 

住んでる家も今見てみると木造でかなり壁に隙間も空いてるし、隙間風は吹いてるしゲジゲジは入ってくるし、家全体も軋んでいるので値段相応かなと思うのだが、自分で家賃を払えていることがすごいと思ってうれしくて今日まで過ごしてきた。

 

東京さようなら。また戻ってくるのかもしれないし、来ないかもしれない。ここで旦那と過ごした3年と2ヶ月は最高だった。これからもずっと心にあるだろう。生きることでこの記憶を生かしていきたい。私達の中にしかないのだ。

 

十年後はもっと何でもわかるようになっていたいし、二十年後はもっといろんなことをしていたい。