つげ義春ってちいかわみたいなやつだろうと思っている。両方、うまく生き延びてまわりのものが死んでもずっと長生きしているんだろうと思う。
山崎ナオコーラのエッセイを読んで、最初は共感していたが、100ページ目くらいまで来て、急に嫌になってきた。男女の役割分担とか価値の出し方の違いに囚われているのは世間でなくこの人の方だ。人間の方を人間が守ろうとしてるなんてヘンテコなことだ。自分の方は自分で守るしかないものだ...などと、嫌になり、私はどんな女でも嫌いなんだろうか。女の人でいいな、こうなりたいと思った人がこれまで1人もいない。ただの僻みだろうか。
でももし山崎ナオコーラという人が本当に性別によって人の役割を判断していないなら、この人はかなり周囲から言われることを気にしすぎているせいもあり、周囲の人から言われたことをいちいち繰り返して唱えた後で、「それは違う」という自分の意見も書かないと、何を書いているか伝わらない世の中だと思ってこのように書いているのだろうか。
そんなこと書かないで人に伝えていくことはできないのだろうか?と、思って現在のこの人の情報を見たら「人の数だけ性別の種類がある...」みたいな記事がいくつか出てきた。毎日働いてる方からしたら、それはそうかもしれんが、忙しい時は踏み込むのさえ躊躇われるそのような界隈に行かれたとは...と私は思ってしまう。そういう感じなので、わざわざ何を言いたいのか述べなければならないと判断されこの本が書かれたのだろう。この忙しい世の中で、少なくとも一番述べたいことを印象付けるために...とはいえこの本は、深沢七郎の「言わなければよかったのに日記」を読んだ時みたいにかなり「わかる」という感じはあった。大体夫が主夫だと周りから言われることはこんな感じだよなと。
ちなみに私は「あなたが大黒柱ってわけですか!」と言われたら、「大黒柱は立派な邸宅にあるもので、こちらはあばらやなので爪楊枝くらいの役割しかしてません。」と答えています。そのあと「風が吹けば飛ぶような〜」と笑いますが、本心ではキレています。俺に家なんかねえんだよとね。