いのちばっかりさ

生きている記録。体を鍛えて学び働きたい。

次の恋だと

「子どもを持つと、一人で生きるよりずっと多くの出費がある。それなのに、収入を得るために使える時間は一人のときより減る。これ以上、犠牲にできるものがない。」

この人は、多分私が子供を持ったらこうなるだろうと思う状況をその通り書いている。家族についても、自分自身についてもこんなに苦労しながら、それでも今までコミュニケーションを取ってこなかった人とコミュニケーション渡ってるのが偉い。すごいと思う。

家族がうまく行かなかったということは、ずっと、私についてきている。家族についてうまく行かないことが起きて私がその場面にいるときっと自分が悪いと思う。誰が悪いと言い切れない場合でも、自分は家族がうまく行ったことがないので、自信がない。

旦那のお母さんから、金属の価値のために昔買ったであろう指輪(龍のデザイン...)を結婚指輪として使うようにという話でもらった時も、私の好みのデザインではないし(竜のデザインの指輪を左手薬指にはめて仕事に行くヒトがいるだろうか)、値段がかいてあるから、金属の価値で買ったものなのだろうし、私に渡すより、生活の足しにして欲しいと思い断った。その結果不和が起きたのだが、そもそも指輪を私に直接ではなく旦那経由で渡してくる意味がわからないし、溶かして好きな指輪を作った方が良いのか、そのまま身につけるべきなのかも言及されていない。そして結婚指輪をつけてないなんて恥ずかしいだろうからとか言及していたらしく、結婚指輪をつけていることとつけていないことは、1か0の記号の問題だけであって、それを恥ずかしいなんて思っていないということを心の中で100回くらい唱えた。

結婚を形にして指にはめるなんて変だ。それに私たちの結婚を形にできるような既製品の指輪なんて存在しない。私たちは死んだら焼かれて骨しかなくなってしまう。それが私たちの結婚で、私が愛しているのは指輪なんか関係ない旦那そのものである。

でもまあ私が悪いんだろうと思う。うまく吸収して、破壊的にならないようにできなかったということが。自分の行いが人に与える印象を調整できなかったということが。

喋りすぎることの害悪を相手から感じるのに、私も同じくらい喋ってしまった。

 

この本に書いてあることはよくわかる。家族だったみんなが未来に進んでいく。しかし私だけが、家族に踏み躙られた時間を生きている。目が座っている。目を離せないで。

もし母親が新しい恋を始めたらどうする。私は吐くだろう。泣いてしまうだろう。それは金もなくてバイト先にも舐められて時給を知らされることもなく、また街に出てティッシュ配りをして騙されて給料をもらえず、本屋さんでバイトしても疲れ切って終わってから質の悪いものを食べて体調を悪くし、家から学校に行くだけで疲れ切って、家族のために?家を掃除し家事をして、本の内容を頭に詰め込む暇もない、絶対に頼れると思って本当は頼らなくて人生を沈没させるような間に合いたくないという警戒、他人から見たらその緊張さえもおかしく、育ちの悪さと思われそうだと、恐れている、その惨めさをまだ心に飼っている自分のそばで、恋愛を始めることだからだ。子供じみているが一生許せない。


辛かった苦しかった。だから頼れると思っていたら、全然世話してくれない、みたいな感情には絶対になりたくないし、そうならないように働きつめに働きたい。世話してくれるだろうなんて他人に対して絶対に思いたくない。多分これも私が子供を作りたくない理由の一つだと思う。どう考えても1人では無理だが、他人が助けてくれると思いたくない。そういう明文化されていない期待みたいなものは、他人にかけるのもアホくさく、何かの決断の前提にするものではない。最悪の状態が現れた場合でも、自分で自分をなんとかしないといけない。健康でいたい。本当に心から望む。頑張りたい強くなりたい。ずっとそう思っている。

 

今日はお祭りで、旦那と二人でお祭りに行けるのどかさと安心と不安、将来に向けてもっと強くなりたいという圧力を感じている。獅子舞踊を舞いたい。すべて舞い上がるように舞いたい。お母さんの新しい恋人を見るなら、獅子舞のまま見るようにしたい。そして獅子舞のまま家に帰って、吐いたりせず、家の窓から畳を全部剥がして投げたいよ(畳ないけど)。

 

あれだなーでも惨めさというのは違う状態を知らないとわからないものだから、知ってるだけマシかな。