いのちばっかりさ

生きている記録。生業。放送大学。本を読む。入道雲100年分。

ブログ友達のゆたさんに会った

ブログ友達のゆたさんにお会いして、体調不良と聞いていたのでもしかしたら原型をとどめていないかもしれない…めちゃ憔悴しているかも…と思ってたけれど(見た目には)思ったより死にかけていなかったので、ホッとして、今日のつとめは果たしたみたいな気持ちになり帰宅した(本当にそれだけをして帰宅した)。

最近全然本を読んでいなくて、でも一週間に数冊読んでいるけど軽いのだけですという話をした。ゆたさんは読んだ本おぼえていてすごい。私は全くおぼえていないからなにか一言その本について言うみたいなことができない(意味ないのではないかと思う読書だが、それなりにストレスが解消される)。

 

いまは良い感じのデスクライトがほしいと思っていて、もし手に入ったら旦那が寝てる時もちゃぶ台的なやつの上に広げて本が読める。

 

立川のIKEAに行きたい。デスクライトくらいなら自分で買って持って帰ることができるだろうと思う。

 

昔から私を知るゆたさんから、わたしはすごく働く気を起こしたり、何もやる気がなくなったりして極端だということを言われたのですが、本当にそうだと思う。正直もう何も働きたくないと思うときがあって、その時は人間関係とか仕事の内容にうんざりしたり、体調が悪かったりとかで、まじでやる気がねえ、となっているのですが、忘れてやる気を出してしまう。

 

というか、貧しくなるのではないかということを思うと働かなくてはと思って働く。そしてどうせ働くならもっと実入りの良い仕事をしたいと思って、めちゃくちゃ頑張ろうと思う。頑張って働いて現金で部屋を買いたいとかの話をするようになる(ローンは嫌のため)。

 

自分の健康の問題も、歳を重ねてしっかりお金をかけてご飯を食べることで、また旦那が家をきれいにしてくれるおかげで、少しずつましになっているように思うし、将来的にはもっと頑張らるのではないかと思えてくる。

 

しかしまあ、毎回ゾンビアタックをやって同じ失敗を繰り返しても意味がないので、もう少しちゃんと取り組みを記録して、変化をつけていかないとならないと思う。

 

今日私と旦那とゆたさん3人とも猫がプリントされた服を着ていた。

 

こないだ会社に忘れ物をして、とても気にしているものだったのでメンタルが不安定になりスタディサプリを解約するなどした。スタディサプリは使えなくなったが、まあいいか。私は講義とか見ないで本で勉強している方があっていると思う。本はどうせ見るので、講義も聞くとなると面倒くさくて手順が多くて大変だ。

 

なんとなく、お金を稼ぎたいと頑張ることは自分には向いていないとわかってるのだけど、自分の好きな本を読みながら仕事でも気づいたらお金が稼げるようになっていやしないだろうか?というスケベ心を出してしまっている。そうはいかないのは当たり前だ。どうしたらいいのかはわからないが、たまにやる気を出しているだけでは無理なことはわかりきったことだ。かと言って自分には帰る家というものもなく、帰って良いと思える場所も自分が借りている部屋しかなく、かと言ってそういう場所を見つけたらきっと壊れないか気になるし、所有することも不確かだと思って寝返りばかり打つだろう。

 

別に何も欲しい物なんかない。ただ一つのことでも、毎日続けることができたなら、という所が率直な真実だろう。それが分断されているから他のもの(金とか)ほしいのだ。勝手に他人の幸せとかを考えてやけくそに金なんか稼ぎたいと思っているのだ。私に必要なのは一つでも何かを毎日続けることなのにも関わらず。