いのちばっかりさ

生きている記録。生業。放送大学。本を読む。入道雲100年分。

どうせ何も持たない若者ですし

東京にいたらもうコロナに罹ると思うのだが、現になんか今も変な汗をかいていて、これが暑さによるものなのか、会社での仕事に対するストレスによるものなのか、コロナ感染によるものなのか分からないからとても不安な気持ちだ。

会社のPCのバッテリーが膨張してきていて、交換を頼むのは2回目なのだが、バッテリーがデルからすぐに送られてこないらしく?順番待ちになっている。これが暑い部屋で使用しなければいけない時膨張どころか爆発するのではないかとすごく冷や冷やしている。仕事の内容以上にこれが怖い。いくら労災にしてやると意気込んだところでこの暑い中で火傷を負って包帯まみれになるのも最悪だ。こんな時に病院に行きたくないし。

こんな気持ち書いても人を気分悪くさせるだろうけれど、こんな気持ちになる、各方面から不安にまみれている気持ちも、今年でなければ二度と感じないだろうというか感じたくないそうであってほしい。だから記念としてここに書く。

私は飲食業に勤めているが、明らかに、今回は飲食業なんか営業しない方が良い。会社は潰れるだろうけれど、それでみんなが家の中にいてくれるのであればその方が良い。不可逆的に生命や身体機能が損なわれるかもしれない状態で、観光をやれとか、外ではマスクを外して良い場合もあるとか話しているのはおかしい話だ。

こうした環境に適応できない企業は潰れてしまって良い。それは必要ならまた集結され、再起されるだろうし、必要ない未来になれば違う業態になるだろう。こういうときに、既存の業態を維持したいがために、無理をして従業員や社会全体を危険なところに持っていって、消耗し尽くすのはだめだ。タフに自分自身を殺して、次に備えるような会社であれと思う。むちゃくちゃ言っているようだけれど、できないことを続けることで誰も幸せにならないと思う。人間に無理をさせると体を壊したり、死んだりするので、よくない。

雇用を維持するというのは体面ばかりで、本当は自分が手に入れた稼げるビジネスモデルを手放したくない。なのにデリバリー事業や弁当販売に転換する勇気と気力はない。そんな会社は潰れて仕舞えば良い。そんな会社がいつまでも人員を牛耳って、従業員を消耗させていること自体がこの世界の害悪だと思う。

自分としては会社がいつ潰れても良いように勉強をしようということしかできない。生まれてからずっと不景気だから、仕事なんかずっとあるわけじゃないとは初めから思っている。そりゃ雇われなければ辛いけれど。

 

切り捨てた人に対してちゃんと保証するのなら切り捨てることができるのも良い政治の条件だと思う。