いのちばっかりさ

生きている記録。生業。放送大学。本を読む。入道雲100年分。

代々幡で片付けるように焼かれず

父も父のお父さんも

母のお母さんもお父さんも

だんだんに代々幡に運ばれて焼かれたのだ

生まれた土地に関係がなく

暗く速い代々幡で焼かれた

死んだら喝采で迎え入れられるか

そんなことはない

静かな川の端

それでさえない

この世は流れる広大な笛吹川

 

2回目以降は喫茶店で珈琲

を飲んで火葬の時間を待つ暇もないのだ

電車で座れたら癒える怒り

ばかりの民衆ではないよ

人間のいる代々幡では

人は別れを告げる暇さえなく

とどまる怒りは山へ帰ることもできない

朝が何回も繰り返したあと

代々幡で焼かれず歩いて帰りたい