いのちばっかりさ

生きている記録。生業。放送大学。本を読む。入道雲100年分。

安倍さんが殺された

学生時代京都タワーにいたとき、「アベノミクスセット」みたいなメニューが飲食店に貼ってあって、お得にハッピーアワーにビールを飲めるセットだったみたいな記憶がある。もちろんお金がなかったから酒など飲まない。

 

地方に就職したが、アベノミクスでオリンピックもあって、仕事がたくさんあるというので東京の会社に転職した。

 

漠然と安倍さんについては恵まれた家の人という印象を持っている。私は働き、若い頃から安倍さんには無限の可能性が用意されていたんだろうと。ただただ羨ましいと思った。

 

不祥事についても知る余裕はなかった。Twitterで批判的コメントを見かけるにすぎなかった。

 

安倍さんが殺され驚いた。民主主義への挑戦とは思わない。そういう捉え方もあるかもしれないが、個人的な事情や恨みだろうと思う。他にも議員がどんどん殺されるとかなれば別だけれど。

 

スカッとしたと思ったり、悲しく思ったり複雑だ。経済に翻弄されていることは確かだが、その経済がどんな政治家がいるかによって左右されるのだろうか?と訝っている。経済のことがよくわからないからだろう。人が死んでスカッとなんておかしいと思うけれど、生涯にわたって安倍さんは視界に入り続ける存在だった。自分自身の辛い日々とともにその一部が捨て去られたという気がする。親が死ぬというのもそんなものだと思う。

 

29歳になったから、だからといって私は専念したくない。いろんなことをやって、なりたいものには全てなりたい。どのような経済状態になってもそのことをもう二度と諦めないと思う。

 

コロナウイルスの流行で業績が赤字になり、1/4ほどの特に能力のある社員が辞めてしまった飲食業の本部の職場で、郵便物を仕分けているときに周囲の人から安倍さんが撃たれて心肺停止というニュースを聞いた。

 

アベノミクスやオリンピックで仕事やお金がいいと聞いて都会に出てきた自分について、結局着実でなかったので、ここでこの結果を得たのだと思う。郵便物を仕分けている人は全員女性。というのは男性はみんな辞めてしまったからである。40歳までお金が全く残らなくてもいいから、腕に技をつけたいと思う。それで普通の人が普通の信頼できる生活をできるように、すべてを社会に還元したい。