いのちばっかりさ

生きている記録。生業。放送大学。本を読む。入道雲100年分。

中野東図書館という所を訪問した

新しくできた図書館があるということで聞いてはいたが訪問する機会のないまま数ヶ月がたった。

すごく静かで都会にある図書館だ。私はもうちょっと田舎っぽい喫茶店とかもついている図書館のほうが好きだ。芹沢光治良の本を展示していた。良い展示だった。知らない人だった。

経済学を学んだけど小説家になった。そこが面白いと思う。ハイブリッド屈折型作家とでも言おうか。

 

 

この本を読んでいる。

旦那の実家の近くもしくは実家に移住したらどうなるのだろうか。旦那と今のようにゆっくりと過ごせないだろう。二人で働いて朝は二人で車を出して、喫茶店に行く暇もなく夜帰ってくるだろう。生まれ育ちの地域が違う以上、そして必ずどちらかは借り物の猫のようにになってしまうのだろうか。

 

旦那が割と今そんな感じだと思うとともに実家に帰るとのびのびしているので、今度は交代して私がそっちになるのも平等性の観点から妥当だと思ったりする。

 

最近思い知ることがあったのだが、やはり私は人と同じことをやっても遅いしうまくできない。なんとかたどり着くことはできても人より遅いし人より多くを犠牲にする。

ではどうするのかと考えたら、人に勝とうと思わないで自分ならではのことをするしかあるまい。この都会で簿記をひたすら勉強して会計士になって監査法人に行って、上場企業にいって、みたいなことをしても人より劣っていることに変わりはない。ならどうするのか。やはり何かのひねりを考えなければならないだろう。それが何かはわからない。