いのちばっかりさ

生きている記録。生業。放送大学。本を読む。入道雲100年分。

自分の家を作りたいと言うことで良いのではないか

自分の家を作りたいということで良いのではないか。そのための資金を稼ぐ仕事はなんでもやっていくというような説明で良いのではないか。あまりにも世間に対して自分が役に立つというアピールを常にしようとしすぎているけど、この人生自体は面接じゃないのだという気持ち。

 

自分のために最高の家を作るために仕事や勉強で経験を積んだりしながら少しずつ作り進めていくぞということでいいのではないか。

 

自分のために生きるから自分のためにこそ死ににいく。それでいいのではないか。世間のためになにかしてやろうという気持ちはいつも折られる。自分の幸せはそういうこととは両立しない可能性だってある。

 

私が自分の満足行く家を作るためにいかなるマージン屋にもインチキをさせない。そのために俺はやるのだという気持ちで良いのではないか。私のためにこそ私は死ににいく。金のためには働かない。自分のためにこそ私は働くのだというのでどうだ。どうだ自分。