いのちばっかりさ

生きている記録。生業。放送大学。本を読む。入道雲100年分。

同年代の人とコミュニケーションを取ろうとしたけど全然自分に余裕がなくてコミュニケーションが継続できない

Twitterで募集をかけている人がいて、私が住んでいる区の木工室を使いたい人は人数を集める必要があるから一緒に登録をしよう、ということで、私もそこを使いたかったので登録しようと思った。しかしコミュニケーションをはかるうち、若さ特有の口調で少しプライベートな情報について話をしたりすると、慣れないからか非常に応答に困り、疲れてしまい応答できなくなった。そしてすごく憂鬱になった。自分のプライベートはまるでカプセルに入っているように守っていきたいのだ。

大学時代もよくこのようなことがあり、自分はいかなるコミュニティにも属することができないのだと思った記憶がある。

更には今の自分には仕事と勉強(と家)以外のものに裂くキャパシティがまったくと言ってよいほど無いということに気づいた。

まず木工室を使うために移動するということが考えられない。考えていたはずなのに、それをいざやろうとすると無理なのだ。

これはある種のうつ状態ではと思うけれど、一方でこれくらいやることがあれば他のことができないのは当然という気もする。

気晴らしができたほうが良いとも思うけれど、実際に誰かとコミュニケーションを取ろうとすると無理だ。ブログで知り合った人とは普通にコミュニケーション取れるのに。