いのちばっかりさ

生きている記録。生業。放送大学。本を読む。入道雲100年分。

母子家庭出身者としての例の結婚に関する私見

私は母子家庭で育ったのだが、その観点から皇族と結婚した例の人には関心がある。素直に人生のガイドを得てすごく良いことだと思う。それなりに身分のある人と結婚することや、学のある人と結婚することは人生を安定したものにしてくれる。

そうでなければ自分ひとりで頑張っていくしかないのだ。結婚相手が身分のしっかりした人であり、教養のある人であるということは、人生にガイドがついたようなもので、理想的だと思う。

 

例の人に対して寄せられた不信や陰口は、そのまま母子家庭出身者に対して向けられうると、母子家庭出身者が危惧することそのものだった。そういうことを人知れず恐れて我々は生きてきた。しかしいざ生きめやも。そうして生きてきたのだ。

私は例の結婚に関するニュースが早く終わってほしかった。自分がまだお金を社員として稼げないときに、自分がアルバイトの立場であるときに、母子家庭だと言うことを決して雇用者に知られたくなかった。舐められると思ったのだ。そういう切り詰めた気持ちのフラッシュバックがずっとあれらのニュースによって呼び覚まされた。

 

そして同時に、私ももっとできるはずだ、稼げるはずだ、アメリカに行けるはずだ。大学院でも行けるはずだ、金は出せないけど奨学金が取れるはずだ、というような母からいつも言われていた、私の体力では太刀打ちできない野望の押し付けも思い起こされた。

 

正直なところTwitterを見るのも結構苦痛で、あの話題を避けることができなかったので、嫌だった。

 

皇族なんて制度消えてしまえばいいと思う。人間の形をしている人間なのだから、きちんと人権が与えられて、庶民と同じように生きるべきだ。そうすれば私もあのニュースを見ないで済みました。

 

しかし私は思い出さなければいけないことを日々思い出すようにされただけだと思う。今もやはり私がそうであったような子供はそんなことを考えなければならないのだろうし、私は今でも会社の上司に片親であるということを絶対に話さない。私の上司は自分が片親の家庭出身であるということを堂々と話すのだが、それを聞いたときの周囲の反応はよくない。私はそれについて、非常にフラットな表情で「そうなんですか」と言う事しかできない。

 

明らかに精神の基調を見出している最近の上司に対して、私もですといいたいが、今あれらのニュースに掻き立てられた気持ちでそれを言ったら、泣いてしまい、次の日は会社に行かないだろう。二度と行かないかもしれない。あと私は上司が嫌いだからそんなことを言う義理もない。

 

辛い。だからといって離婚して親が自分の道を選ぶことが悪いことかというとそういうことはない。そういうことはないからこそ、私はちゃんとした人間にならなければいけなかったのだが、全然ちゃんとしていないし、体力もない。それが一番つらいのだ。

 

世の中は片方欠けているということに厳しい。片方が働いていない、片方が動かない、偏った能力、体と性自認がちぐはぐ、そういうことを不自然だという圧力がなくなればよいのに。

 

僕はそういう助けになるようにしたい。

 

それにしても、私達みんなが何もかもの違いを見えなくなればいいのに。見えないほどに私もなにかに打ち込めればよいのに。