いのちばっかりさ

生きている記録。生業。放送大学。本を読む。入道雲100年分。

朝の4時まで勉強して、そのあと散歩して17時まで寝てしまった

何となく最近カラオケ行ってないから、カラオケ行ったあとのあのスッキリして声がよく出る感じが懐かしい。旦那は日常歌を歌わない人なので、なんとなく私も歌わない。たまに歌うけど。

 

引っ越してきた当時に旦那がお弁当にサンドウィッチを作ってくれてたことを話しながら、あのころは余裕がなくて、旦那がサンドウィッチを作ってくれるところを一度も観察して無かったと気づく。もうすぐ2年だから、割と余裕が出てきた。それでもまだ2年なんだなと思う。

 

不安になるくらいのことにチャレンジしなきゃと思うこともあるが、今じっくり見るべき相手がいるので、世界との付き合いも程々にしたい。

 

前年に比べておそらく80万円くらいは収入が落ちると思っている。というのも残業をあまりしないで、自分の勉強に時間をあてているからだ。またコロナウイルスの流行に伴い飲食系なので仕事も減っている。

 

なんというか、もとからこの国では人口が減っているので、いたづらに拡大だけしても意味がなく、今のように私の年収も抑えつつ、利益率の高い商売だけを残して他のビジネスは切り捨てていく方針が健全だろう。私の収入は落ちるが。暮らしていけないわけではない。

 

収入より支出が低ければ黙っていてもお金は溜まってゆく。それに対してもしも円安が急に進んでいくと、必要なものが買えないわけで、それは困ってしまう。おそらくできるだけ円高になったタイミングで貯蓄をドル建てなどに切り替えていく必要があるのではないかと思う。

 

収入と知的な成熟は、あんまり関係ないと思う。あまりにも収入が下がりまくる場合を除けば勉強もしていけるし、そのためにはやはり労働時間は短くする必要がある。

 

28歳になった。27歳はなんとか東京で二人で暮らしていけるようになった。念願の通信制大学にも入った(放送大学)。でもこの生活はなにか病気になどなるとすぐおかしくなるやつだから、東京でもっと良い稼ぎ方を身につけるか、地方に帰る必要がある。

 

そろそろ子供を作って、元気なうちにお金ない状態で子供を育てるのになれておきたいと思ったが、コロナがこれほどに流行していると、医療が必要になる妊娠ということをするのも危なっかしいので、保留だ。

 

旦那の実家ではコロナの影響で、11月から義父の仕事がなくなることが確定している。私の収入も下っていて、仕送りの方法はまだ考えていて答えが出ない。

 

例えば宅建を取れば土日に不動産屋さんでバイトできないかなと思っている。会社ではアルバイトは禁止されているが、それでも給与交渉した上で給与が上がらなければ、アルバイトを止めることのできる法的な根拠はなにもないはずだ。

 

ここに来て思うのは、人間体を使った仕事もできる、頭を使った仕事もできるというようなのが一番生きていくのが容易であるということだ。

 

その気になればものを運ぶ仕事もできるし、したことがある。パソコンも使えるし、勉強することも不可能ではないという私は、発達障害があったとしてもお金を稼いでいける。もちろん選ぶ仕事によってはQOLが下がるけど、とにかくこういう不測の事態においてはなんとかできるという自信がある。

 

でも例えばオフィスワークを十年とかそれだけ続けていると、もう外で立って働くのは結構きついだろうと思う。そう思うと同じことを続けることが重んじられている世界ではあるけれど、そうそう同じことばかり続けるのは自分のためにはならないのではないかと思うなどする。

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ミャンマー元気だろうか?元気なわけないけど、あの人たちがどうか守られているように。ミャンマーは私の青春そのもの。

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