いのちばっかりさ

生きている記録。生業。放送大学。本を読む。入道雲100年分。

積み上げたものはどうせ崩れてしまうとしても、積み上げたことは嘘ではないし、積み上げる方法を知ることになる。

コロナウイルスに感染して後遺症が出たり、アルツハイマーになるなどして、多分積み上げたものはなにかの拍子に崩れてしまうのだが、だからこそ元気なときには積み上げるだけコツコツと積み上げておきたい。

 

お金より知識を積み上げたい。より多くの人生をなんとかする方法を積み上げたい。文章を積み上げたい。

 

最近私は全く専科型プロフェッショナルになりたくないと思っていて、いろんなことが知りたい。いろんなことでなんとか食いつないでいきながら広がっていきたいという考えを持っている。

 

一方で仕事に真剣に取り組めない自分にも周囲から批判されたら仕方ないという気持ちは持っている。周囲の人と同じ位だけ成果を出すことで、ダラダラと消費エネルギーを減らして定時退社していこうという感じがある。

 

たぶん感性的に共感できる仕事なら自発的にもっと改善するなどしたりするだろうが、今の仕事の意義はあまり共感しないので、こういうことになっていると思う。

 

またコロナウイルスが流行している環境下ではあえて出社等したくないので、なるほどこういうふうに考えるのは、出社しなくてもある程度の仕事ができるということもあるが、やはり命を危険にさらしてもやりたいという仕事ではないなと思ってるんだと思った。

 

どういう仕事なら大丈夫なのかとか考えてみたけれど、やはり自分の仕事によって、自分の生命に対する危険より、相手に与える善さの価値のほうが大きいという仕事だと思う。もっとも私には何が相手にとって善いかなんて判断できないので、より多くの命のためになることこそが適切な仕事だと思う。