いのちばっかりさ

生きている記録。生業。放送大学。本を読む。入道雲100年分。

憤り

放送大学の履修していない科目を通勤中及び散歩中に聞いている。ひと月前くらいからスキマ時間に聞いていた「死生学のフィールド」を興味のある回だけ聞き終えたので、ほかのを聞いている。

 

大学生の時、縁のない授業に潜って体力の尽きるにも構わず面白がっていた気持ちを思い出した。勉強することのないような本を買ったりして、全財産を溶かしていた。あんなふうに転がるように生きていたときは辛かったけれど、今もある意味ではおんなじことをしているのではないか。

 

私の会社ではいろんなITシステムの改修をやっているのだが、そのせいで色んな所がおかしくなってしまっている。

普通に業務ができない。不具合が生じるたびに一つずつ不具合を報告するのだが、そんな生活の中で私は何をやってるんだ?と思ってしまう。知らないところで新たな改修が行われており、その回収による不具合でその改修の存在を知る。

 

システム改修する側ならこの困難を楽しんで乗り越えたかもしれないが、そのシステムを使って業務をする側としては、これによって業務がめたくたになったり、本来不要だった残業ばかりが増えてしまうのは非常に残念。

 

これに対して色々と不満や不具合が出た際に、その不満をちゃんと聞いてくれる場合は良いが、それに対して全く無視ということもあり、全く無視は良くないだろうと思う。

また改修を指示している人がシステム同士の繋がりをよく理解していない点がある上に、昔から会社にいる人が自分の既得権益を守るためにわざと情報を伝えず、貶めているのがきつい。そのことがあとになってわかる。

そのような環境の中で、私は周囲の人が働きやすいように情報を共有するくらいしかできることがない。

 

社内では出社する人がとても多い。マスクをしないで業務する人もいる。

出社した人は郵便の振り分けをせねばならず、また電話での問い合わせを受けねばならない。そのことで、出社しないと他の人がその仕事をやらなければならないため、私も出社して義理を果たそう、みたいな考えが発生している。同調圧力のようなもので出社している。私はありえないと思う。そんなもののために入院やらしたくない。というかもう入院なんかできない。自分がもう感染している(かもしれない)という前提に経てば、またワクチンも満足に予約できないくらい国内に在庫がない状態なのだから、出社すべきではない。

 

もう仲間が感染して重症化しても入院できず自宅で死亡することもありうる。

みんながみんな、かけがえのない存在であるにもかかわらず、こんなことになっている。人が死ねば遺族というものが存在するのであって、その人たちの心情や生活にいかに責任を取るつもりなのか?

 

いかに責任を取るつもりなのかね。本当に辛いことだ。リーダーシップが皆無。