いのちばっかりさ

生きている記録。生業。放送大学。本を読む。入道雲100年分。

フラッシュバックの性質

どうも自分はフラッシュバックということが一般的な人より多い気がする。それがもとでつい書きすぎてしまったり、つい食べすぎていたり、つい歩きすぎていたり、つい遅くまで起きすぎているきがする。つい防御的に話しすぎてしまったり、少し危ういことがあると、昔のフラッシュバックとつなげて過剰に直そうとしたりしている気がする。おふろに入ってるときにはフラッシュバックがないようだということに最近気づいた。

暖かくするのが良いのかもしれない。

フラッシュバックの内容は、学校や職場の内容が多い。自分がうまくできなかったことや、それについて言われたことを思い出すのが多い。

 

昔のフラッシュバックは、そのうちに思い出さなくなり忘れてしまう。そしてもれなくまた新しいフラッシュバックのネタができる。昔のは今ではおぼろげな光景として思い出されるだけだ。それらのおかげで時には勉強しすぎることもあり大学に入れた気がする。

 

みんな普通にそうなのだと思っていたが、一日に何回もいきなり静かになって鬱っぽくなったり、ワーなどと声を上げたり、紛らわすために様々な合言葉を言ったりするのは普通ではないらしいことが最近わかってきた。

 

何回も繰り返すとかえって忘れなくなってしまうからやめようとしてもふとした瞬間、例えば明日にはまた仕事だから朝メールをチェックするだろうと思うときなど、思い出してしまう。強い雑音のようなもので蜂の大群のように体の中をぐるぐると回る。

 

子供の頃からそうだ。けどここで折れるわけには行かないと思う。

 

これまで給料に波があり給料が低くなることは度々だったが、以前より通勤に時間がかかっており、消耗が激しいことが、問題になっているとおもう。

 

家の近くで仕事を探したい。この性質のおかげでなんとかしてきたところもあるけれど、継続ということと相性が悪いようだ。また、人生がだるい。山奥の小屋で生活したいなどと思うのには根底に人との関係においてフラッシュバックしやすいという性質があると思う。なんにしても自分の性質についと常に見守って考えることは大切だと思う。